七月花形歌舞伎・歌舞伎座新開場柿葺落

新歌舞伎座、6月までは三部制で大御所が登場。その後7月から、ようやく若手による花形歌舞伎が始まる。

7月は、昼の部、『加賀見山再岩藤』で、菊之助が二代目尾上/お柳の方、夜の部 『東海道四谷怪談』では、お岩を演ずるという、どちらも初役のすばらしい狂言仕立て。

いつもお世話になっているSNS繋がりで、三階席を昼夜鑑賞することとなった。この演目、ダイナミックな筋立てだから、三階席でも十分に楽しめると思う。

このために菊之助さんは、いち早く身を固め、そして、芸に専念するのだろう。今から、7月が楽しみである。

 
6月12日(水)10:00よりWeb・電話受付開始

いすみで、ブルーベリーの育て方ワークショップに参加しました

連休第一日目の4/27、いすみに住む知合いのお庭で、ブルーベリーの育て方、ワークショップがあった。

講師になってくださったのは、五平山農園の藤江さん。こちらの庭には、すてきな農園コテージがあって、宿泊することもできる。一日一組限定。

ブルーベリーの栽培での基本原則
1. 酸性土壌であること。ピートモスを使用することで、酸性になる。
2. 3年生までは、実をつけるのは不可。4年生(樹齢4歳)から実をつけることができる。
3. 肥料はやりすぎない。強い化学肥料は避ける。油かすが基本。

ブルーベリーは、無農薬で作る。虫は手で退治すること。
品種は、大きく2つあって、ハイブッシュ種とラビットアイ種に分けられる。ハイブッシュは、酸性土壌にしかできず、露地植には向かない。ポットを使用する。
ラビットアイ種は、必ず露地植にすること。

剪定を毎年行ない、木の大きさに応じた実を付けるようにする。

植え替えがおわった三年生。今年一年育てると来年からは、実がつく。

これは、コリンズという品種。3年くらいしたら、さらに大きなポッドに植え替え直す必要がある。

 

 

 

 

8、9年生のブルーベリー。すでに実がついている。

 

 

 

 

 

 

 

お話を聞くと、ブルーベリーは、初心者でも育てやすい植物のようだ。冬になると、葉が落ちて、枝だけになるから、それを12月頃剪定して、外に出しておくといい。寒さに強くて、6℃くらいが適温なのだ。

近頃はホームセンターなどで、手頃に売っているが、三年生までは、実をつけてはいけない。木をある程度大きくしてから、つまり、養分が十分に行き渡るようになって初めて,実をつけることができる。

実際に作られている農園の方を講師に招いて、教わったので勉強になった。なにしろ、知らないことばかりである。どの道にも、師という存在は大切だと思った。

買い物は、ネットとデパート地下が便利

兼業主婦なので、食材の確保は生活の基本だ。以前は、週末に少し郊外の大型スーパーに出かけていた。広いから歩く、探す、そして、レジも並ぶ。週末の買い出しは、みんな同じようなまとめ買いで、レジで20分くらい待つ。駐車場も遠い。

お試しにと頼んだco-opは、インターネットで注文できる。ネットからも、食材のお取り寄せができることを知り、震災以後は、活用するようになった。居ながらにして、モノが届くのは本当に便利。日時も指定できるので、家にいる時間にまとめて届くようにしている。

悩みは段ボールがむやみと貯まること。それもリサイクルに出している。そして、ネットの注文では足りないモノは、市内の24時間営業のスーパーを利用していた。早朝に思い立って出かけ、必要なモノだけ買って戻ってくる。

最近はデパートの地下食料品街が便利だということに気づいた。魚も肉も野菜も果物も花も、いちどに揃えることができる。夕方からはセールが始まり、お値打ち品も多い。待つ時間や、手間、そして、品質のことを考えると、納得できる価格だ。時間の節約になることが、いちばんうれしい。今のお気に入りはここ。昨年から、スーバーも完備されて、ヨーグルトや牛乳まで買うことができる。

日曜日に一杯にした冷蔵庫は、金曜日までにあらかたに消費してまう。

2003年の「トーキョー・リング」の覚え書き

今年は二月に、パリのオペラ・バスチーユで、「ワルキューレ」を見た。そして、三月から四月にかけて参加した、フェニーチェ劇場友の会主催の日比谷オペラ塾では、「トーキョー・リング」の話題が出た。

トーキョー・リング」とは、

2001年から2004年にかけて新国立劇場で上演され、当時大きな話題を呼んだ楽劇「ニーベルングの指環」のこと。キース・ウォーナーが演出。

私たちが見たのは、2003年の「ジークフリート」。スーパーマンのTシャツを着たジークフリートは、ブレンダーで、名剣ノートゥングをかき混ぜ、電子レンジで整形する。

さすらい人に扮するヴォータンは、槍を持ち、片眼鏡をして、モーテルで、同期が乱れていて映らないTVを眺めている。

エルダはフィルムだらけの部屋に閉じ込められている。ブリュンヒルデ(緑川まりさん)は、傾いた巨大な金属のベッドにいる。と、こんな具合にもとの話とは、まるで違った解釈で物語は進められる。

まるでニューヨークにある近代美術館に紛れ込んで、その中でオペラを見ているという気分だった。

翌年の2004年に「神々のたそがれ」もみたはずなのだが、こちらははっきりとした記憶がない。こちらのブログに詳しく書かれているので、ぼんやりと思い出した。

つまり、2月の「ワルキューレ」は第二夜で、「ジークフリート」は第三夜だから、意識のなかで、この二つが繋がってしまったのだ。どちらも新演出。前にも書いたが、「ワルキューレ」は、愛の物語が際立っていた。

それに対して、「トーキョー・リング」は、すべてを置き換えるところに意義があった。古典的な演出をすべて、取払い、組み立て直していく。今でこそ、新演出というジャンルが日本でも知られてきたが、2001年当時は、理解されることが難しかったのではないか。

不思議なもので、モーツアルトの「フィガロの結婚」も新演出で上演されている。だれでも知っている筋と音楽だから、こうやって冒険ができるのだろう。初めてみたひとは、これがこの物語なのかと、思い込んでしまうのではないか。現代にして、天使を登場させたり、オフィスの中にしたり。

古典的なものをみると、悠長すぎるように思えるほどだ。

観世会荒磯能に行ってきました

セクターエイティエイトさまから、招待券をいただき、観世会荒磯能に行ってきました。観世能楽堂は、Bunkamuraから少し登った閑静な場所、松濤にあります。

番組は、若手能楽師による、能が二番と狂言という贅沢なもの。「淡路」は、初めてだったので、神楽の音も楽しめました。狂言の「佐渡狐」も初めてみるもの。野村萬斎さんは、さすがに華のある役者ですね。

「杜若」は、昨年の佐渡で奉納能をしたときの演目。何度か見ているので、優雅な舞いを楽しみました。能楽は、やはり、事前の予習が大切。どんな物語なのかをざっと読んでおくと、理解が深まります。伝統芸能というのは、中世から今に伝えられるものだから、それに向き合うには、ちょっぴり努力も必要というわけです。堅苦しく思うことはないから、好きなときに眠ってもいいから、本物をいちどご覧になるといいと思います。

演じる側が創造する役柄の人物と、見ている側が受け取ることのできるイマジネーションが、そんなにずれもなく伝わっていれば、震えるくらいうれしいときもあります。わたし自身、何度か見ていて、いつしか自分が、その登場人物と沿って過ごしていた、いう体験をしています。毎回ではないけれど、そんな時間を共有できたら、すてきですね。

備忘のために載せておきます。

平成25年4月11日 木曜日 13時半から17時まで、観世能楽堂にて
≪仕舞≫
敦盛  関根はな恵
殺生石 木月 宣行

≪能 淡路≫
シテ:尉、伊奘諾尊 坂井 音晴
ツレ:男      髙梨 万里
ワキ:臣下     大日方 寛
アイ:里人     内藤 連
後見        坂井 音重
地頭        山階彌右衛門
笛         藤田 貴寛
小鼓        住駒 匡彦
大鼓        亀井 洋佑
太鼓         林 雄一郎

≪狂言 佐渡狐≫
野村 萬斎
中村 修一
深田 博治

≪能 杜若≫
シテ:杜若ノ精    岡庭 祥大
ワキ:旅僧      御厨 誠吾
後見         上田 公威
地頭         関根 知孝
笛          松田 弘之
小鼓         田邊 恭資
大鼓         原岡 一之
太鼓         大川 典良

附祝言

観世流宗家 観世清和さんのテレビ放送があります。
古典芸能への招待 NHK 4/28 21時から23時 能 「求塚 もとめづか」 です

出光美術館で「源氏絵と伊勢絵 - 描かれた恋物語」を見てきました

源氏物語も、伊勢物語もどちらも皇子として生まれた高貴な人が主人公です。どちらも天皇になることはできません。そして、華やかな恋をし、失意をしり、遍歴を繰り返します。

そんな主人公を題材にした絵というのは、画家にとっても、わくわくするような題材だったことでしょう。今回の展示は、桃山時代に源氏絵を得意とした土佐光吉の没後400年にあたり、彼の作品と、その前の世代の様式を対比させてあり、時代ごとの特長や形式などがよく分かります。

源氏物語、そのものが、読み手の年齢、知識、経験、感性、境遇などにより、さまざな解釈ができ、二重に、三重に楽しむことができます。その源氏を絵画で表現することより、また、新しい解釈が生まれます。感性に響くものや、知識があれば分かるもの、同じ絵を見つめながら、複合的な解釈ができるわけです。

たとえば、源氏物語図屏風では、54帖のそれぞれの場面が絵かがれ、題字は、漢字だったり、変体仮名だったり、全部が違った表現になっています。絵も文字も同じものの繰り返しはないのです。

それまでの絵には、川は水色、そして、波も描いていあるのに、伝俵屋宗達といわれる、「伊勢物語図屏風」では、川は紺色で単純化され、雲は金色と、宗達の特徴が出ています。風景をシンプルにすることで、力強さ、忘れられない印象を与えるのですね。様式美もこうやって、年代ごとに展示してあるので、見えないことが見えてくるような気がします。

会期 2013年4月6日(土)~5月19日(日)
場所 出光美術館 東京
休館日 毎週月曜日、ただし4月29日、5月6日は開館
電話 03-5777-8600(展覧会案内)
入館料 一般1,000円/高・大生700円

嵐のあとに、たくさんの雲が生まれる

昨日の嵐から一夜明けて、今日は風が強い。空は青空に次々と雲が生まれていく。

雲が生まれて、雲が飛び立つ。
生まれたばかりの雲は、頼りなげ。
そして、すぐにいなくなる。
青空がすべてを包み込んで、遠くに持っていく。

 

 

 

 

 

 

 

日曜日で、やりたいことはたくさんあったが、半分くらいでよしとしよう。なにもしないで、最初から諦めているより、半歩前に進めばよいのだ。

空の見せるドラマチックな表情を楽しんで一日が過ぎていく。今日はドラゴンも見えた。気がつかないと、すぐに空模様は変わってしまう。一瞬の出来事だから、愉しいのかもしれない。

嵐の日の過ごし方

嵐の日にすること、音が気になるので、読書には向かない。オペラを聴くのもまわりが気になって集中できない。大音量ならいいのかと、考えてみた。

サンタナ 天の守護神 (1970年)
.なんていいかもしれないけれど、

ピンク・フロイドにも「吹けよ風、呼べよ嵐
という曲があった。どちらも、嵐を招きそうだ。

そして、自宅待機中に付き,チーズケーキを焼くことにした。こちらは、分量を計って、オーブントースターで焼くだけなので、適当に集中できてよい。余力で珈琲ゼリーも作った。

嵐の日は、難しいことは考えない方がよい。夜半になって、目黒川や神田川が氾濫の危険ありとのツィートが流れる。ツイッターは災害時に貴重な情報だ。

 

フェンディ美術展「FENDI-UN ART AUTRE」に行ってきました。

FENDIに招待券をいただいて「FENDI-UN ART AUTRE」を見に行ってきました。フェンディといえば、毛皮のコートが有名です。そんなラグジュアリーブランドの全貌を伝えるため、事前に写真撮影の許可をお願いしていました。

会場は3つのパートに分かれています。

会場入口はこんな感じ。1925年にFENDIは、 Via del Plebiscito (プレビシート通り)に誕生しました。当時の店先をし写真です。

ここから、カーテンを潜って入ると、スクリーンに60年から80年までの作品が映し出されます。

 

60年代から80年代にかけてのファションの総集編。きらびやかで、躍動的。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の部屋は、ファーコートやバッグの展示室になります。わたしのイメージしているファーコートはこちら。他の方もここには立ち止まってみていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファーのバッグも展示されています

 

 

 

 

 

それぞれの材質、テクスチャーも壁面に展示されていて、間近で眺めることができます。ファーコートが、会場にいくつも並んでいて、それは豪華です。ハイファッションでもあり、また、まとってみたいと憧れの対象として鑑賞していました。

いよいよ最後の第三会場です。こちらは、フェンディのクリエイティビティの集約で、アトリエで働く職人の作業場が再現されています。この日は、男女一組のイタリア人がいました。

そして、ここでうれしいハプニングが起きました。イタリア人女性に、『Di dove sei? どこの出身ですか』と尋ねると、『Sono di Roma ローマ出身です』という答えが帰ってきました。そこで、こちらはイタリア語を習っていると伝えると、にっこりと微笑みながら、詳しい解説をしてくれました。

「このような展示は最初のことで、芸大が大変協力してくれて実現した。フェンディは、すべて手仕事で作品を作っている。皮や毛皮の材質を選びながら、望むものを形にしていく。われわれのクオリティは高く、ローマのアトリエは、ローマらしい場所にあって、なんでも必要なものが手に入る」

そして、こちらに展示されているファーコートは、裏側を見せて飾ってあります。職人技の際立ったところをみせるために、わざわざそうしているのだそうです。このままでも着られそうですが、たしかに裏返すと、立派なファーコート。触って見ると、とても軽いのです。本物ならではの、すばらしさですね。

普通の展示だとガラスケースに入っていて、材質などがわかりずらいのですが、こちらの展示は、すべてガラスケースなし。職人のアトリエでは、触ることもできると思います。実演もあるそうです。

ファッションブランドがここまで、内部を公開するのも珍しく、出かけてみる価値のある展示会だと思いました。

FENDI — UN ART AUTRE
Another Kind of Art, Creation and Innovation in Craftsmanship

~フェンディ もうひとつのアート、クリエイションとイノベーションの軌跡~
会期:     2013年4月3日(水)- 4月29日(月・祝)
午前10時 – 午後5時 (入館は午後4時30分まで)
休館日:     毎週月曜日
★4月29日(月・祝)は開館
会場:     東京藝術大学大学美術館 展示室3,4
観覧料:     一般1,200円 高校・大学生700円(中学生以下は無料)

参考サイト、展示のファーコートなどが詳しく載っています
http://www.fashionsnap.com/news/2013-04-02/fendi-un-art-autre/
http://openers.jp/women/fashion/news/news_fendi_unartautre_0326.html
http://ueno.keizai.biz/headline/1295/

 

新学期の思い出

すでに成人しているこども二人は、半導体不況の年に生まれている。あの頃は、需要と供給が三年周期で訪れ、好況、不況が繰り返された。いつも人が足りなくて、ようやく配属になると、暇になり、予算が減らされる。その新人は営業に回され、また、翌年には人が足りないという事態になった。

子どもたちは、二人とも近くの保育所に通わせたのだが、衣類がひじょうにたくさんいるので驚いた。常備三組、毎日、三組は汚れてくるから、洗濯は毎日するが、着替えがいる。Tシャツやトレーナー、パンツなど、10枚以上用意しなければならない。

近くにダイエーがあるが、そこにはみんな買い物に行くから、バッティングしてしまう。そこで、日経流通新聞にいつも記事になっていた、津田沼のイトーヨーカー堂に出かけてみた。ここは当時売り上げナンバーワンの優秀店舗。たしかに広くて子供服が充実していた。子供服は着られる期間が少ない。すぐに大きくなってしまうから、ブランドものに固執しない。ミキハウス、ファミリアなどは高級すぎて、よそ行きにいいが、保育所には使えない。イトーヨーカー堂のすてきなところは、毎週どこかしらでセールしていた。赤ちゃんから120cmくらいまでは、本当に充実していて、両手にぶらさげるほど買っても、なるほど価格。

セールを活用して、季節の終わりには、来年のサイズを予想して1/3の在庫を買っておく。急に暑くなったり、寒くなったりする時、すぐに対応できないから、つまり、買い物に出かけられないから、この在庫は貴重だ。残り1/3は、シーズンの始めに買って、さらに中頃のセールで最後の1/3を買う。コツは、全部を一度に買い占めないこと。財産の運用に1/3のルールがあるが、それと同じだ。

保育所は、給食が出るから、着るものさえ用意しておけば、ずいぶんと楽である。汚れ物をいれるビニールは、氏名を書くので、その手間を惜しんで、二番目の子のときは、ビニール袋に名前を印刷して1万枚作った。一日10枚×25日間×12ヶ月=3000枚。ビニール袋が必要なのは三歳児までだからと、知合いの印刷屋さんにお願いした。

この袋は丈夫で立派だったので、あまったものは、冷凍庫で保存する袋になった。子育ては、やはりお金をケチらないことだと思う。子どもが保育所に行っている間は、節約して貯金するよりも、親子でおおらかに暮らすとよいと思う。小さい子がいるときは、どうしても睡眠不足になるから、グリーン車や特急で座って通勤することも大切。

子どもには本物を見せるのが大切といわれ、ヨーロッパに出かけたときも、ロンドンで、キャッツと、レミゼラブルのマチネに連れて行った。日本語もまだよくわかっていないから、英語だからと拒絶することもなく、楽しんでいた。ロンドンバスにキャッツの広告で出ていると、あれ見たねと、騒ぐのだ。

新学期は、こちらの展示会と重なっていて、土曜日には子どもを預け、休日出勤した。今思うと、なんの不安もなく、子どもたちを預けていた。彼らは、朝起きたら、保育所にいくのが、当たり前になっていて、出かけていった。

今頃になって、母親は仕事人間だったからといわれている。会社では、子どものことを忘れて、独身のように働いていた。土日に、館山にうさぎ小屋を借りて、家族で出かけた。それがなければ、親子の交流もなかったかもしれない。