パリ、オペラ・バスチーユで、ワルキューレを観る

パリ最終日、帰国は23:20のエールフランス深夜便。調べてみると、この日は、オペラ・バスチーユで、ワーグナーの指輪シリーズのワルキューレの初日でした。マチネなので、14時から19時半くらいの予定のはず。つまり、オペラをみて、タクシーでCDG空港まで駆けつければ、飛行機に間に合います。なんという幸運と、さっそくパリ国立オペラの会員になりました。

演出はPhilippe Jordan (Direction musicale)、モダンな舞台です。これまで、みた、どのワルキューレよりも、哀しみ、愛、そして、恐怖が際立っていました。不幸なカップルたちの愛の物語なのです。舞台の始まりは、裸の男たちが次々と殺され、それを眺めているジークムントとジークリンデ。二人は引かれ合い、愛し合いますが、哀しい結末が待っています。

そこには、絶えず死が用意されていて、死出の旅路を連想させます。近松の道行きのような透明感があって、二人の行き着く先は死しかないのだと予想させます。

フリッカは、まるで真っ赤な薔薇の精のように、舞台を遠くから眺め、近づきます。この場面では、鏡が舞台を写し、観客は上から映し出された映像を眺めることになります。細部まで見えて、隠すこともできない神々。ヴォータンは、まるでカジノで全財産を賭けて、すべてを失った男として描かれます。新国立劇場のヴォータンは、モーテルでみえないテレビを眺めていました。

有名な「ヴァルキューレの騎行」も、乙女たちは、死人の身体を拭き、次々と蘇らせ、また、新しい死体を運び込んできます。このイメージ、日本では、見たことがありませんでした。ドイツの収容所を連想してしまいます。この前に「神風KAMIKAZE」をみたので、戦い、死体、その運搬というのが、とても怖いです。

ジークムントとフンディングの戦いで、ジークムントは折れた剣と共に殺されます。そのとき、ヴォータンはフリッカを突き出し、よく見ろ、お前が望んだようになったと、、死人を見せるのです。

ブリュンヒルデが父、ヴォータンの命令に逆らい、身ごもったジークリンデを逃がすのですが、その罰として、岩山に閉じ込められ、彼女を最初に発見した男のものになるのだ、といわれます。ここからが、今度は父と娘の愛の物語なのですが、パリでみたものは、二人の間の性的緊張関係、それは、フリッカには感じなかった深い愛憎を見つけることができます。この二人も愛し合っていたのか、と今さらながら気づきました。愛故に永久に離れ離れになる二組のカップル。ジークムントとジークリンデ、そして、ヴォータンとブリュンヒルデ。

ここでは、黒衣の花嫁衣装を身にまとったフリッカが去っていきます。

もうひとつの男女、ヴォータンの妃のフリッカと、ジークリンデの夫、フンディング。二人は正式な結婚による配偶者のはずなのに、なぜか、心の通じ合わないカップルとして描かれます。この悲劇も、忘れてはいけないでしょう。

演出はモダンですが、取り上げられているテーマは、愛。愛の物語だったのです。字幕は、英語とフランス語で舞台上部にでます。わからないときは、それを眺めながら、そして、心の動揺に震えながら、この愛の物語を堪能しました。席は前から五列目。オペラグラスなしに、舞台で何が起きているのかがよくわかります。音響もすばらしい。この新しいオペラ座は、どの席でも舞台がよく見えるように設計されているそうです。

19時過ぎに終わり、長いカーテンコールが始まったのに、中座するのはたいへん心残りでした。バスチーユから、タクシーを捉まえ、第二ターミナル、Eゲートまで、これを逃すと帰れません。次回は、ゆっくりとオペラを鑑賞できる日程にしようと思いました。

ビジュアルについては、こちらのサイトを参考にしてください。すてきな場面の写真が載っています。

1. ジークリンデも「あなたこそ春です」と歌い、二重唱となると、外には桜の花が咲いている。

2. 真っ赤な薔薇をイメージしたドレスを来たフリッカが、夫ヴォータンに、不倫、兄妹の近親相姦を抗議しにくる。赤は情熱ではなく、怒りの象徴。煮えたぎる血潮だ。

3. 疲れて眠りに落ちるジークリンデと、ジークムント。

4. 岩山に閉じ込められるブリュンヒルデ。傍らに立つのが父親のヴォータン。

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