大阪文楽劇場で、心中天網島を見てきました

京都から大阪まで、二日連続で通っています。阪急烏丸から、梅田行きの特急に乗って、淡路で乗り換える。同じホームから堺筋線の天下茶屋行きが出て、日本橋で下車。七番出口が文楽劇場です。

今日の芝居は、心中天網島。9月に東京国立劇場小劇場でも開催されたのですが、どうしても大阪で見たかった演目です。出てくる地名も大阪のひとには馴染みがあって、また、人物設定もここでは無理なく感じます。サラリーマンの多い東京に較べて、小さくても一軒の店を構えているひとなら、お金の算段、家族の人間模様などひしひしと伝わってきて、納得することが多いのです。

本来は、男と女の色模様のはずが、大阪の商人が主人公になると、奉公人、親族、兄弟などが次々と登場して、恋物語が、金算用、あるいは、商売のため、親孝行のためと、がんじがらめに縛られていきます。

可愛い子どもが二人いて、夫婦仲もよく、なぜ、紙屋治兵衛は、曽根崎新地の遊女、紀の国屋の小春と、心中まで考えた深い中になるのか。長い間、疑問でした。それがこの芝居をみて、解けたような気がします。回りが放っては置かないのです。兄は、侍に姿を変えてまで、小春の心底を知りたいと思うし、妻おさんの父親はなにかあると、おさんを実家に連れ戻そうとする。いきなりやってきて、嫁入りの箪笥の引き出しを開けて、中身までチェックする。姑ではない、実の父親です。こんなことは、江戸の大店の主人は、けしてしないでしょう。ここでは、黙って見過ごしこともなく、気持ちを推量することもなく、ストレートに怒りや、驚きをぶつけてきます。

治兵衛は、こんな息が詰まるような日々から逃れたくて、小春との、親族のかかわりのない自由さを求めたのではないでしょうか。小春は所詮、遊女ですが、それでもひとときの真実の愛にふたりはすがっていたのだと思います。

一方で、小春も、おさんも本心を隠したまま、治兵衛の気持ちを大切に、心中して死なすことは避けて、縁を切ること、そしと、家にあるお金まで添えて、身請けを請うことを思いつきます。ふたりの健気な思いは、けして実らず、物語は悲劇へとまっしぐらに進んでいきます。

この講演も、三列目の右端、語り部の太夫さんのお顔がよく見えます。三味線の方が、弾きながら、声をかけていくのも聞こえます。台詞は、笑いをとるものもあり、客席からも笑い声が聞こえてきます。心中物に笑う場面があるというのも、初めて知りました。悲劇は日常の中にあって、何かが反転すると、始まるのです。

小春もおさんも何も主張はしない、うつむいて、耐える感じです。その下で、心中をやめさせるような手紙を送ったり、わざと縁切りしたりと、治兵衛より、ずっと複雑な感情をもち、芯は強いのです。 この二人の女を幸せにしてやることは、治兵衛にはできません。 死ぬことで、赦しをこう。いや、自分たちの他は何も考えていないのでしょう。 こんな男がもてるのです。それも事実かもしれません。

物語は、語り部の声に連れられて進み、そして、終わります。じっくりと堪能しました。終演後、隣の席の方と少しお話して、いい芝居だったというと、この席がよかったのよ、と言われました。お隣がよい方だったので、芝居に集中できたのでしょう。

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第1部 午前11時開演
近松門左衛門=作
心中天網島 (しんじゅうてんのあみじま)
北新地河庄の段
天満紙屋内の段
大和屋の段
道行名残の橋づくし

大阪文楽劇場に、仮名手本忠臣蔵 第三部を見に行く

四月、七月と第一部、第二部をみて、いよいよ最終章の第三部。今回は東京から新大阪経由で、日本橋の文楽劇場に向かう。

三宅坂の国立劇場小劇場でみる文楽と、大阪文楽劇場で見る文楽はどこかが違う。何が違うのか、三回も見ていると気がつくことがある。大阪弁の飛び交う電車に乗り継ぎ、大阪の人が集まっている劇場に着くと、そこはアウエー感満載。非日常、あるいは、上方へのタイムスリップをしたような気分になる。

劇場の座席配置が違う。語り部の太夫さんたちの汗が飛ぶといわれる3列の端の席に着いて、熱演振りを見ていると、人形の大きさも人形使いの顔が見えるのも気にならない。太夫さんたちの独演場。もちろん、人形芝居が物語の進行をわかりやすく表現するのだが、その息遣い、哀しみ、耐える風情。人形に命を吹き込んで演技をさせている。東京でみる文楽は、どこかよそよそしくて、ここまでの熱情が伝わらない。大阪は熱い、そして、濃い。若い人が大勢出ているのもうれしい。登場人物のひととなりが、わかりやすく、無駄なく、ストレートに伝わってくる。たしかにこういう人がいたのだろうと、素直にうなづける。

第三部の華は、やはり 『八段目 道行旅路の嫁入』母と娘が山科を目指しての二人旅。東海道を登っていく。ふたりの情愛の濃さに、心打たれるが、実はなさぬ仲の親子。可愛い娘に、閨のことまで語って聞かせる。太夫の語る台詞がうきうきと楽しい。

山科の大星宅に入り込んだ二人は許婚の母、お石と対面するが、ここは色で決めている。お石は黒、戸無瀬は赤、小浪は白、と並ぶのだ。色まで演技している。

『九段目  雪転しの段』で、虚無僧姿の加古川本蔵が登場するが、ここからは、腹のさぐりあい、本心を隠して、どうしても娘を許婚のもとに送りたい父の本心が見え隠れする。それは大星も同じ。どうせ生きては助からない人だからと、秘密の話を打ち明ける。師直に賄賂を贈り、媚びへつらうようにみえた本蔵は、実は、腹の据わった立派な武士だと、ここで明かされる。

『十段目 天河屋の段』大星が義平を試すのだが、その裏に哀しい夫婦わかれ、残された子どもの哀しみが胸を打つ。江戸時代にはこんな去り状一通で夫婦か別れさせられたのだろか。

『十一段目 花水橋引揚より』
『光明寺焼香の段』このふたつは完全に武士の世界観。若狭助が義士たちを労い、また、焼香場では、やはり大星がみなが納得するように仕切る。

通し狂言を全部見た感想としては、やはり、見所満載のお芝居だと思った。今では、歌舞伎のほうが自由度が高く、役者の格に合わせて、各段を繋いでいく。ひとつひとつが独立しているから、一場面、二場面でも十分に魅せられる。

文楽の場合は、太夫の力量に大きく左右される。それは、サッカーで一試合走り続けようなもの。汗はかかずとも、もともとの力のある人の段はすばらしい。近くでみているとよくわかる。

当時の幕府批判にならないように、鎌倉を舞台に、足利家を将軍にと替えているが、師直の紋が葵のご紋。これが徳川批判となるのは明々白々。第一部では新しい発見が多かったが、その分、太夫さんの語りに集中していなかったかもしれない。

新春に『加賀見山旧錦絵』をやるとのこと。松竹の新春歌舞伎とあわせて関西に来るか、悩ましい。

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第2部 午後4時開演
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
(八段目より十一段目まで)

八段目 道行旅路の嫁入
九段目  雪転しの段
山科閑居の段
十段目 天河屋の段
十一段目 花水橋引揚より
光明寺焼香の段

https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2019/11172.html

超大型台風19号の記録

台風が、いままでになく大きく、そして、四日後には日本に上陸することがわかっていた。こちらは10/11 金曜日の夜7時から9時までの江戸の古文書講座、が無事開催できるのかと、心を砕く。事前のお知らせメイルに、台風接近により、延期もあるという告知をして、当日の正午に再度メイルを送り、そこに開催か、別の日に延期かのお知らせをすると伝えた。届いたか、読んでくれたか、確認のためにそのメイルに返信してもらう。

優秀な生徒さんたちは、みんな順次返信してくれて、当日も集まってくださった。台風直前とはいえ、ありがたい事である。

翌日の10/12、JR東日本も12時までに運休、三越本店も臨時休業、国立能楽堂、国立劇場、演芸場、新国立劇場などもみな、休演のお知らせ。東京メトロも昼までには運休で、台風接近に備えた。

ところが10/12、朝8時すぎ、朝食をとっていたら、電気がチカチカして、突然消えた。停電である。まだ、台風は上陸していないのに、雨も激しくないのに、停電か、と絶望的な気持ちになる。市内の中心街なので、信号も止まるし、どうなるのだろうかと思った。東京電力のお問い合わせ窓口にかけると、いま、大変混み合っていますので、のちほどおかけください、と切られてしまう。

すると20分くらいでまた、電気が付いた。家中の表示板は、点滅していて、オーディオや、お風呂、床暖房など、みな設定のやり直し。また、いつ停電になるかもしれないからと、ご飯を炊く用意をして、昼と夜の魚を焼く。冷凍庫にある食材も取り出し、塩麹につけたり、酒粕をぬったりと準備する。こういうときは、美味しいものをいただくと、元気になるから、手抜きせずに料理する。

梅ゼリーもつくった。デザート用の和菓子は、昨日、三越本店で調達済み。新鮮な野菜が不足しているが、切り干し大根や、カツオのしょうゆ漬け+もずくのサラダなど、いつものように作る。夜は停電したら、ガスの両面グリルで焼けるように鮭のグラタンを作る。家の中にいて、時間はあるから、丁寧に玉ねぎも炒めて、スライスしたチーズと交互に重ねて焼くだけにしておく。

雨は、まだまっすくに降っていて、時折激しく叩きつけるように降る。それよりも、風が怖い。台風が過ぎた後も家が揺れるように吹き荒れた。
Facebookのタイムラインには、荒川や、多摩川がいつ氾濫しても仕方がない水位と流れてくる。台風の被害は突風で屋根が飛ばされることもそうだが、近くの河川の氾濫もあるのだ。それに停電。17時ごろ、奥多摩に住む知り合いがいっせいに停電だと投稿する。電気もなく、一晩明かすのは、家族がいてもどれだけ不安なことか。

台風の上陸は、静岡の下田。だが、あまりにも大型なので、千葉市でも風雨が強まり、気が抜けない。食料を用意して、自家製パンも余分に焼いておいて、時の経つのをしずかに待つ。家の中が暑くなりすぎることを怖れて、食洗機も使わず、食器も最小限にして、つつましく過ごす。東日本大震災のあとも、こんな感じだったのを思い出す。戦争をしらない子どもたちなので、こんな非常時がなければ、命の大切さを忘れている。

日頃、当たり前のように暮しているのも、電気やガス、鉄道などのインフラがあればこそのこと。文明ということに感謝しなければいけない。今後も温暖化が進めば、この時期でも台風が発生することが多くなり、災害を引き起こすのだ。何か、対策はないのだろうか。

二日前の上天気を喜び、夏着物を三枚も洗って、干していたのに、いまその場所には、倒れた椅子と、物干しがある。自然の脅威に負けないように、暮らしを考える必要がある。便利さに頼りすぎないこと。いざというときに、火を起こして食事をとれるくらいのキャンプスタイルも、実施していこう。

夏の終わりにすること その1

夏の間に着ていた着物を少しづつ洗う。毎日着物生活を始めたら、夏の間も着物で過ごすことになった。調べてみると、夏着物というものがあるのだ。夏大島、夏塩沢などなど。これらは薄い糸で織られていて、軽くて涼しい。

浴衣は綿の生地なので、羽織るだけで暑いのだが、夏着物は、絽の長襦袢の上に重ねてきても、風が通って、心地よい。そんな三ヶ月余りを過ごして、夏の終わりに、片付けがある。夏の着物は、汗をかいているから、丸洗いしたい。いま、気に入って使っている洗剤がある。

夏着物なら、キャップにいっぱい、ぬるま湯に畳んだ着物を漬けて、15分置く。ゆっくりと押し洗いして、水を変え、もう一度押し洗いする。こすったり、揉んだりせずに手のひらで押し洗いする。最後に水を変え、流したら、タオルドライ。バスタオルを押すように上からのせて、水分を吸収させる。

あとは物干し竿に、通してサザエさん干し。生渇きのうちにアイロンするときれいに仕上がる。手間はちょっとかかるが、水洗いした着物は気持ちが良い。紬屋さんとの共同開発というが、まさにプロの洗剤。毎日、二枚づつ洗うのがちょうどよいみたい。もちろん、天気予報を確認してあらうこと。雨の日は、家の中に干して乾かす。

文楽劇場に、仮名手本忠臣蔵第二部を見に行く

今回の祇園祭で、初めてみる文楽です。四月に第一部、大序から四段目をみて、今回は、第二部、五段目から七段目。いわゆる山崎街道、勘平腹切、一力茶屋という名場面が続きます。

おかるの父、与市兵衛も、母も情の細やかな人たちです。それだけに、台詞のひとつひとつが、はっとして、心を打たれるものが多いのです。道理はわかっているが、それ以上に親子の情愛が深い。 祇園町からの迎えは男が一人。歌舞伎では、ここで、おかみさんが付いてくるのですが、それはありません。

殺された与市兵衛が、運び込まれ、勘平は自分が舅を殺したのだと思い込んでいます。腹切のあと、殺されたのは刀傷、鉄砲で打たれたのは定九郎で、かえって、敵をとっていたのです。おかるの母の繰り言。死んだものを生き帰せと叫んだり、勘平さん、どうぞ死なずにいてくださいと、思うままに叫んでいて、名前もついていないのです。

一力茶屋の場面は、豪快な廓遊びと、そして、入り乱れる人間模様。大星の本心を知っているのは、足軽の寺岡兵右衛門だけでした。密書を読んでしまった妹、おかるに、勘平はすでに生きていないから、命をくれと頼みます。

おかるは、便りがなくて恨んでいた。近くに来てくれてもいいのにと恨んでいた。まさか、死んでいたとは。父は高齢ゆえ仕方がないが、勘平さんはまだ三十前と、嘆きます。

そして、ふたりの兄妹の心底を見届けた由良助から、兄は東のともを許され、妹は由良助に手を添えて、敵の一人である、斧九太夫を刺し殺すのです。人形芝居とは思えないほどの由良助の、人間としての大きさを感じ、久しぶりによい芝居を見せてもらったと思いました。

文楽の特長は、なんといっても、太夫(語り手)と三味線弾きが大きく貢献します。今回もたっぷりと楽しませていただきました。11月の第三部もまた、見に行くつもりです。

松竹座七月公演 昼の部

松竹座七月公演 昼の部に行ってきました。
京都は曇り空から小雨、大阪に着いたら、止んでいました。今日も、松竹座の前は大勢の人が待っています。

色気噺お伊勢帰りは、喜劇仕立て。

笑いの中に、哀しみもあって、大坂庶民の姿が描かれています。光っていたのは、梅枝のお紺。色気のある女郎ですが、嘘と誠の使い分けがすばらしい。最後に証文を女将さんから返してもらって、よくも恥をかかせたわね、この御礼はきっとします、と言い切って立ち行くワルぶり。この清楚な真面目そうな女役に、強烈な悪女をやらせたらと、わくわくしました。

厳島招檜扇
ひさびさの登場の我當が、清盛役。扇で夕日を呼び戻すというめでたいもの。元気そうな姿をみて、安心しました。役者は舞台に立つことで生きますね。

渡海屋
大物浦
渡海屋銀平実は新中納言知盛
仁左衛門さんが命がけで芝居しているのが伝わってきます。江戸風ではなく、片岡流の演技です。最後に義経に安徳帝を託して碇をつけて、沈んでいく。その覚悟がみているこちらにも伝わってきます。
夜の口上で、ぜひ、昼もみてくださいとお客様にいっていた気持ちがわかります。

今回の松竹座、いままでの中で最高だったと思います。昼、夜と見られてよかったとしみじみ感じました。

香川登枝緒 作
米田 亘 補綴
わかぎゑふ 演出
一、色気噺お伊勢帰り(いろけばなしおいせがえり)
左官喜六     鴈治郎
喜六女房お安   扇雀
大工清八     芝翫
遊女お紺     梅枝
清八女房お咲   壱太郎
うわばみの権九郎 隼人
旅芸人の座長万平 寿治郎
万平女房お千   吉弥
遊女お鹿     猿弥
家主庄兵衛    彌十郎
油屋女将おかつ  秀太郎

二、厳島招檜扇(いつくしままねくひおうぎ)
日招ぎの清盛     
平相国清盛      我當
内大臣宗盛      進之介
三位中将重衡     萬太郎
祇王         壱太郎
小松三位維盛     中村福之助
瀬尾三郎兼経 松之助
仏御前実は源義朝息女九重姫 時蔵

三、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
渡海屋
大物浦
渡海屋銀平実は新中納言知盛 仁左衛門
女房お柳実は典侍の局 孝太郎
源義経 菊之助
入江丹蔵 猿弥
武蔵坊弁慶 彌十郎
相模五郎 鴈治郎

京都観世会館で、求塚を見てきました

京都観世会館で、片山定期能七月公演を見てきました。知り合いの息子さんが子方としてデビューするということで、楽しみでした。
演目は橋弁慶。祇園祭にもちなんでいます。

能「橋弁慶」
弁慶・橋本忠樹、牛若・橋本和樹、弁慶の従者・大江広祐
都の者・茂山千三郎、鈴木実

子方は牛若で、弁慶と堂々と切りあいします。かわいらしい坊ちゃんで、物怖じせずに勤めて、これからが楽しみですね。

狂言「昆布売」茂山千作
これも関西風で、笑いました。

能「求塚」青木道喜
求塚、昔、東京国立劇場でも見たのですが、今回のはすばらしかったです。特に後シテのやつれた痩女の面と、そして、救われることのない哀しみの表現が心を打ちました。二人の人から選ぶことのできなかった女の苦しみ。リスクをとることは、自分に誠実に生きることなのかもしれません。夏の京都で、こんな充実した能楽を楽しめるなんて、しあわせでした。

 

関西・歌舞伎を愛する会 結成四十周年記念 七月大歌舞伎

osaka

今年も、祇園祭に京都に滞在していて、その合間に大阪にも出かけています。毎年、必ず大阪に通うのは、芝居が面白いから。初役の方も多いのですが、みなさまの真剣さに心打たれるものがあり、通いづめています。

歌舞伎をじっくりと味わいたいので、昼の部、夜の部と間をあけてみています。7/18 木曜日は、夜の部に拝見しました。演目の中で、『弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい) 道頓堀芝居前の場』があって、関西・歌舞伎を愛する会 結成四十周年記念と題していました。

東京では、歌舞伎座、新橋演舞場、明治座、国立劇場、浅草公会堂など、歌舞伎が毎月、何よ箇所で上演されています。それが当たり前のように、来月はこの芝居と、チケットを買っています。ところが、関西では、そうではないのですね。松竹座も、一月の正月公演と、七月の関西歌舞伎を愛する会の二回。そういえば、十一月、十二月は京都南座の顔見世公演でした。

四十年を振り返り、仁左衛門さんが挨拶されていましたが、関西で歌舞伎ができない時期があったとおっしゃっていました。映画やテレビにも出ていたし、本当に苦労があったのですね。 この日もご挨拶はしたものの、夜の部の出演はなし。

昼の部に命を賭けて、知盛を演じています。昼の部なら、贔屓のお姐さんたちも、見に来られる。清元の公演に東京国立劇場に駆けつけたときも、おわりが8時半で、新幹線の最終に間に合うようになっていました。仁左衛門さんの人気、すばらしいものです。

葛の葉は、時蔵が際立っています。障子に歌を書くのも、なれたもので、みていてうっとりします。こんな狐がいたのかもしれないと思わせるところがさすが。萬太郎の安倍保名は、難なく演じているのだが、若すぎる。あと何年かしてみるといいかもしれません。

上州土産百両首
正太郎役の芝翫は、当たり芸。そつなく、そして、本領を発揮しています。
牙次郎役の菊之助、汚れ役です。途中できりりとなるのかと思ったが、最後まで、気のいい、そして兄貴分思いの正直者を演じています。主役のひとりではあるが、菊五郎はやらないでしょう。吉右衛門の芸風かもしれません。昼の部の義経との釣り合いを取っていて、なかなか味わいがあります。東京ではみることのできない役なので、得した気分でした。 三次役の橋之助が、小憎らしくていい味を出しています。彼はワルでないと、芝居にならないから、すねたような、そして強請り、うまく演じていました。
ちょっとだけ、顔を出し、そして、親分のさりげなさをだす勘次役の扇雀がいいのです。殿様もよいが、こういう町人が似合っています。何もいわずに縄を解くところで、よい芝居をみたと思いました。
夜の部に大いに満足して、京都に帰りました。週明けにみる昼の部が楽しみです。

夜の部
一、芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)
葛の葉

女房葛の葉/葛の葉姫   時蔵
安倍保名         萬太郎
信田庄司         松之助
庄司妻柵         吉弥

関西・歌舞伎を愛する会 結成四十周年記念
二、弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)
道頓堀芝居前の場

   仁左衛門
   時蔵
   扇雀
   孝太郎
   菊之助
   梅枝
   萬太郎
   壱太郎
   隼人
   橋之助
   中村福之助
   猿弥
   竹三郎
   進之介
   彌十郎
   芝翫
   鴈治郎
   秀太郎

川村花菱 作
大場正昭 演出
三、上州土産百両首(じょうしゅうみやげひゃくりょうくび)

正太郎      芝翫
牙次郎      菊之助
宇兵衛娘おそで  壱太郎
みぐるみの三次  橋之助
亭主宇兵衛    猿弥
勘次女房おせき  吉弥
金的の与一    彌十郎
隼の勘次     扇雀

パリ、バスチーユで、「運命の力」をみる

一週間の休暇をとってパリに来ている。六月のパリは初めて。そして、オペラシーズンでもある。6/25に、オペラ・バスチーユで「運命の力」をみてきた。

事前に学習したのが、新演出のもの。ヨナス・カウフマンが長い髪をして、インディオの血を引いていることを強調していた。

今回のオペラ・バスチーユ版は、宗教色が強く反映されている演出。人の運命は、抗うことができない、神を信じていても救われることのない人間の業のようなものを感じた。

Leonoraは、Alvaroにとって、ピュアで、天使のような人。心から彼女を愛しているのに、身分が違うと父親は断固として二人の仲を認めない。二人が駆け落ちしようと考えているとき、父親に見つかって、逃げるときに刀が跳ねて父親がなくなってしまう。父が亡くなり、故意ではないのだが、殺したのは恋人だった。

こんなときに頼るのは神である。神のもとに参って祈りを捧げるしかない。それとて、何の解決にもならないのだ。Leonoraは、彼があんなにハンサムで勇敢でなかったら、わたしが彼をいまも愛していることはなく、苦しみもなかったのにという。離れて住んでいても、けして忘れることのない愛、それが彼女を苦しめる。

神は救ってはくれないのだ。最後に死を与えられて、初めて平和が訪れる。生きているうちには、けして救われることのない二人、それが逃れられない運命なのだ。

Alvaroもまた、彼女の声をけして忘れない。いまも心から愛している。そして、修道士となった自分に決闘をしかけてくる彼女の兄と戦って、死に至らしめる。人間の持つ業のようなものの、恐ろしさを教えてくれる。

最初、吊るされたキリスト像は、最後には横たわり、静かに眠る。神にすがることで、生きようとして、でも忘れられない愛がある。愛があるから苦しむのだ。それを神への愛に昇華できないふたり。

祈りは、最後になって初めて、死を迎えることで救われる。それしか救いがないという深い哀しみ。オーケストラもすばらしく、そして、主人公の三人も歌がうまくて、心地よく、音楽の中に浸っていた。本当は哀しみでいっぱいのはずなのに、最後の死が救いとなってよかったと思った。

宗教と人間の対峙を見事に表現していたと思う。

 

あらすじ

La Forza del destino
Opera Giuseppe Verdi
Opéra Bastille – from 06 June to 09 July 2019

3h50 with 2 intervals
Surtitle : French / English
Opening nith : 6 June 2019

About

In few words:

When the curtain rises, Don Alvaro is about to flee with Leonora.
Alas, the two lovers are caught in the act by Leonora’s father.
Alvaro throws his pistols to the ground but one of them goes off
and kills the father. The force of destiny is pitiless and laughs
at the fates of men. A grand fresco abounding in dramatic twists,
La Forza del destino is also a work deeply rooted in its own time.

In 1861, Verdi agreed to stand for parliament to pursue his political
ideals. However, the Risorgimento was floundering and the composer
fell prey to doubt. His dark melancholy suffuses “La Forza”.

The opera becomes a place where dreams are shattered against the wall
of reality but where a fragile song of hope of enrapturing beauty is to be heard.

Opening
First part 80 mn
Intermission 30 mn
Second part 60 mn
Intermission 20 mn
Third part 40 mn
End

La Forza del destino

Opera in four acts

Music : Giuseppe Verdi
Libretto :  Francesco Maria Piave
Conductor : Nicola Luisotti
Director : Jean-Claude Auvray
Set design :  Alain Chambon
Costume design :  Maria Chiara Donato
Lighting design : Laurent Castaingt
Choreography :   Terry John Bates
Collaboration to the choreograhy : Paolo Ferri
Chorus master : José Luis Basso

Original production by Jean-Claude Auvray, revival directed by Stephen Taylor
Orchestre et Chœurs de l’Opéra national de Paris
Coproduction avec le Gran Teatre del Liceu, Barcelone

Il Marchese di Calatrava :   Carlo Cigni
Donna Leonora :    Elena Stikhina
Don Carlo di Vargas :  Željko Lučić
Don Alvaro : Brian Jagde
Preziosilla :    Varduhi Abrahamyan
Padre Guardiano :  Rafal Siwek
Fra Melitone :  Gabriele Viviani
Curra : Majdouline Zerari
Mastro Trabuco :  Rodolphe Briand

オルセーで印象派をみる

サンジェルマン・デプレから、オルセーまで歩いて12分くらい。訪れた日は、ルーブルが休館のため、混雑していた。
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印象派の絵を好きなだけ見ようと、オルセー、オランジェリー、ポンピドーセンターと毎日出かける。パリ在住の友人に案内してもらい、財団主催の展示も見た。日本の浮世絵の影響を受けていることがわかる。