文楽劇場に、仮名手本忠臣蔵第二部を見に行く

今回の祇園祭で、初めてみる文楽です。四月に第一部、大序から四段目をみて、今回は、第二部、五段目から七段目。いわゆる山崎街道、勘平腹切、一力茶屋という名場面が続きます。

おかるの父、与市兵衛も、母も情の細やかな人たちです。それだけに、台詞のひとつひとつが、はっとして、心を打たれるものが多いのです。道理はわかっているが、それ以上に親子の情愛が深い。 祇園町からの迎えは男が一人。歌舞伎では、ここで、おかみさんが付いてくるのですが、それはありません。

殺された与市兵衛が、運び込まれ、勘平は自分が舅を殺したのだと思い込んでいます。腹切のあと、殺されたのは刀傷、鉄砲で打たれたのは定九郎で、かえって、敵をとっていたのです。おかるの母の繰り言。死んだものを生き帰せと叫んだり、勘平さん、どうぞ死なずにいてくださいと、思うままに叫んでいて、名前もついていないのです。

一力茶屋の場面は、豪快な廓遊びと、そして、入り乱れる人間模様。大星の本心を知っているのは、足軽の寺岡兵右衛門だけでした。密書を読んでしまった妹、おかるに、勘平はすでに生きていないから、命をくれと頼みます。

おかるは、便りがなくて恨んでいた。近くに来てくれてもいいのにと恨んでいた。まさか、死んでいたとは。父は高齢ゆえ仕方がないが、勘平さんはまだ三十前と、嘆きます。

そして、ふたりの兄妹の心底を見届けた由良助から、兄は東のともを許され、妹は由良助に手を添えて、敵の一人である、斧九太夫を刺し殺すのです。人形芝居とは思えないほどの由良助の、人間としての大きさを感じ、久しぶりによい芝居を見せてもらったと思いました。

文楽の特長は、なんといっても、太夫(語り手)と三味線弾きが大きく貢献します。今回もたっぷりと楽しませていただきました。11月の第三部もまた、見に行くつもりです。

パリ、バスチーユで、「運命の力」をみる

一週間の休暇をとってパリに来ている。六月のパリは初めて。そして、オペラシーズンでもある。6/25に、オペラ・バスチーユで「運命の力」をみてきた。

事前に学習したのが、新演出のもの。ヨナス・カウフマンが長い髪をして、インディオの血を引いていることを強調していた。

今回のオペラ・バスチーユ版は、宗教色が強く反映されている演出。人の運命は、抗うことができない、神を信じていても救われることのない人間の業のようなものを感じた。

Leonoraは、Alvaroにとって、ピュアで、天使のような人。心から彼女を愛しているのに、身分が違うと父親は断固として二人の仲を認めない。二人が駆け落ちしようと考えているとき、父親に見つかって、逃げるときに刀が跳ねて父親がなくなってしまう。父が亡くなり、故意ではないのだが、殺したのは恋人だった。

こんなときに頼るのは神である。神のもとに参って祈りを捧げるしかない。それとて、何の解決にもならないのだ。Leonoraは、彼があんなにハンサムで勇敢でなかったら、わたしが彼をいまも愛していることはなく、苦しみもなかったのにという。離れて住んでいても、けして忘れることのない愛、それが彼女を苦しめる。

神は救ってはくれないのだ。最後に死を与えられて、初めて平和が訪れる。生きているうちには、けして救われることのない二人、それが逃れられない運命なのだ。

Alvaroもまた、彼女の声をけして忘れない。いまも心から愛している。そして、修道士となった自分に決闘をしかけてくる彼女の兄と戦って、死に至らしめる。人間の持つ業のようなものの、恐ろしさを教えてくれる。

最初、吊るされたキリスト像は、最後には横たわり、静かに眠る。神にすがることで、生きようとして、でも忘れられない愛がある。愛があるから苦しむのだ。それを神への愛に昇華できないふたり。

祈りは、最後になって初めて、死を迎えることで救われる。それしか救いがないという深い哀しみ。オーケストラもすばらしく、そして、主人公の三人も歌がうまくて、心地よく、音楽の中に浸っていた。本当は哀しみでいっぱいのはずなのに、最後の死が救いとなってよかったと思った。

宗教と人間の対峙を見事に表現していたと思う。

 

あらすじ

La Forza del destino
Opera Giuseppe Verdi
Opéra Bastille – from 06 June to 09 July 2019

3h50 with 2 intervals
Surtitle : French / English
Opening nith : 6 June 2019

About

In few words:

When the curtain rises, Don Alvaro is about to flee with Leonora.
Alas, the two lovers are caught in the act by Leonora’s father.
Alvaro throws his pistols to the ground but one of them goes off
and kills the father. The force of destiny is pitiless and laughs
at the fates of men. A grand fresco abounding in dramatic twists,
La Forza del destino is also a work deeply rooted in its own time.

In 1861, Verdi agreed to stand for parliament to pursue his political
ideals. However, the Risorgimento was floundering and the composer
fell prey to doubt. His dark melancholy suffuses “La Forza”.

The opera becomes a place where dreams are shattered against the wall
of reality but where a fragile song of hope of enrapturing beauty is to be heard.

Opening
First part 80 mn
Intermission 30 mn
Second part 60 mn
Intermission 20 mn
Third part 40 mn
End

La Forza del destino

Opera in four acts

Music : Giuseppe Verdi
Libretto :  Francesco Maria Piave
Conductor : Nicola Luisotti
Director : Jean-Claude Auvray
Set design :  Alain Chambon
Costume design :  Maria Chiara Donato
Lighting design : Laurent Castaingt
Choreography :   Terry John Bates
Collaboration to the choreograhy : Paolo Ferri
Chorus master : José Luis Basso

Original production by Jean-Claude Auvray, revival directed by Stephen Taylor
Orchestre et Chœurs de l’Opéra national de Paris
Coproduction avec le Gran Teatre del Liceu, Barcelone

Il Marchese di Calatrava :   Carlo Cigni
Donna Leonora :    Elena Stikhina
Don Carlo di Vargas :  Željko Lučić
Don Alvaro : Brian Jagde
Preziosilla :    Varduhi Abrahamyan
Padre Guardiano :  Rafal Siwek
Fra Melitone :  Gabriele Viviani
Curra : Majdouline Zerari
Mastro Trabuco :  Rodolphe Briand

びわ湖オペラ、ジークフリート

IMG_2654
びわ湖ホールで、4年間に渡り開催される〈ニーべルングの指環〉、今年は三年目で、ジークフリート。気づいたときには、チケットは完売で、今年は見られないのかと危ぶんだ。幸運なことに、再発売の情報をいただき、移動中の電車の中から、クレジット決済するという、荒技で、極上の席を入手。オペラは、どの席でみるのかも重要な要素なのだ。

今回は、京都から朝早く出て、義仲寺に立ち寄り、その後、びわ湖に面したドイツレストラン ヴュルツブルクでランチ。隣のテーブルの方たちも、オペラに向かうようで、音楽の話題で盛り上がっていた。ここから、びわ湖ホールまでは徒歩で25分。びわ湖を眺めながら、歩く。

IMG_2650IMG_2652

さて、前置きはこのくらいして、オペラの話に戻る。わたしが見たのは3月2日。指揮 沼尻竜典、演出 ミヒャエル・ハンペ、管弦楽 京都市交響楽団。

一年ぶりに同じ場所に集い、席に着く。席は本当にいい場所、よくこれが手に入ったと不思議に思う。

さすらい人になったヴォータンが、ミーメから三つの質問をされ、丁寧に答える。いつも、 こんなわかりきったことをなぜ繰り返すのかと、不思議だった。今回は回答のようなものが見えた。一年ぶりの 観客に、あるいは、初めて見るものに、物語の筋を教えているのだ。

ジークフリート役ができるテノールは、世界に10人といないらしい。とくに今回は、四時間以上も歌い続け、最後にブリュンヒルデとの愛の歌を奏でる。これができるものは、マラソンでゴールして、サッカーの試合に出るようなもの。

16歳のりりしい少年に見えなくてもいいのだ。歌がすばらしければ、すべてが許される。

TOKYO リングでみた、モーテルの映らなくなった砂色の画面をみつめているさすらい人、スーパーマンのTシャツをきて、ブレンダーにいれたノートゥングを鋳るジークフリート。今回はもっとまともな演出だ。実は、2017年の6月1日に、新国立劇場でジークフリートは見ている。そのときは、入手できたのがC席で、4階から見下ろすようにして、眺めたのだった。

見る席は大切だ。良い席でみると、話の筋がよくわかる。なんども見ているはずなのに、今回はたくさん発見があった。別の言い方をすれば、丁寧に作っているのだ。

恐れをしらない若者、若者を利用して、黄金を奪い、世界を支配しようとするもの、そして、それを狙うもう一人の男。 黄金を守るため、大蛇になって、番人となるもの。主神でありながら、さすらい人となって、世界を歩く人、叡智を集めたという女、いまは地下深く眠りについて、起こされたことを不満におもっている女。炎に囲まれた岩山で眠る女、彼女を目覚めさせるのは、あのとき助けた女が産んだ男の子。

ここで物語は十六年を経過している。神々は年を取らない。眠らされたブリュンヒルデはともかく、残りのものどもは、十六年もの長きにわたり、怒りをあるいは恐れをもち続けたというわけか。 あるいは神々にとって、年を取らないということは年月は一瞬なのか、ヴォータンは長年さすらい人として旅をしていたかのように見える。

大蛇となったファフナーは賢者のようにもみえるし、ユーモアもある。水を飲みにきたのだが、食べ物もいっしょに得ることができるのだ、と。 これまでそんなことに気づきもしなかった。

森の中、大蛇退治、そして、炎の山を登り、花嫁を発見する。十六歳の男の子の夢と冒険物語。その裏で、もう動き始めた事実をとめることもできない、ヴォータンの哀しみ。ミーメは、報われることなく、殺される。 赤子から育てた若者である、ジークフリートには罪の意識がない。単純で、荒削りな性格、ブリュンヒルデの叡智とは調和するのだろうか。

ジークフリートは、ミーメに育てられたから、老人を嫌っている。さすらい人も年老いているので、嫌いなのだ。あの槍をノートゥングでまっ二つに折り、あたらしい時代が始まることを予見している。おそれおののく、乙女のブリュンヒルデに、いまあなたが欲しいと、歌い続けるジークフリートは、それを手に入れたら、次のことを始めるのだという予感がする。

バランスよく、愛情に包まれという、育ちかたでない若者が、次の行動にでるとどうなるのか。神々の終焉まで、みなくてはとおもう。

ジークフリートも、正当流ですばらしい歌声だっだが、ヴォータンがいい。この人は、堂々としていて、主神としての威張りくさったところ、そして、虚勢も張る、
哀しみ、世の中に対する恐れ、そんなものが感じられた。ただ、堂々として立派なだけではだめなのだ。

最後にカーテンコールに並んだ人々をみて、今回はこれだけの人で演じているのかと驚く。

アルベリッヒ、ミーメ兄弟、ヴォータン、ファフナー、ジークフリート、ブリュンヒルデ、小鳥役、エルダ
八名で、こんなに濃厚な舞台になるのか。

舞台は映像も駆使して、立体感とシャープさを出しているが、そこに集う人々がみな、胸に一物あり、恐れをしらないのは ジークフリートばかりだ。

帰りの電車の中で、一両のほとんどがびわ湖ホールからの帰り。オペラについての話が弾んで聞こえてくる。 これは地方だからのこと、上野の帰りに山手線のなかで、オペラの話をするものは皆無だ。

何度も見ているオペラでも、発見はたくさんある。今回のは、とくに丁寧にわかりやすく、つまり、奇をてらうことがなかったと思った。

鎧や兜を外された乙女のブリュンヒルデは可憐でよかった、と思っていたら、

いろいろと前置きはいうのでしょうが、最後には彼の胸に飛び込んでいくのでしょうと、帰りの信号待ちで、年配のご婦人たちが語るのがいい。

もちろん、びわ湖オペラを見るために来ているのだが、一日オペラに浸っていられたのは旅先の非日常だから。 パリでは、夜七時から始まる。オペラは夜の楽しみ。七時半に終わってはフランス人は寂しいだろうと思ったりする。

来年は13時開演だそうだ。二回とも見たい気がする。

沼尻指揮による、演奏は完璧、日本にいることを忘れてしまうほど。
びわ湖オペラは貴重な体験である。

□3月2日公演キャスト
ジークフリート   クリスティアン・フランツ
ミーメ     トルステン・ホフマン
さすらい人   青山 貴
アルベリヒ   町 英和
ファフナー   伊藤貴之
エルダ     竹本節子
ブリュンヒルデ 池田香織
森の小鳥    吉川日奈子

能楽五番立を見てきました

佐渡に通うようになって、今年で15年目、よくお聞きするのが、昔は朝から能楽五番をやっていたという古老の思い出。神社の参道には屋台の店も並び、ピーヒョロという笛の音も聞こえて、祭りだったといいます。一度はそれを見てみたいと、思っていました。

ごばん‐だて【五番立】
〘名〙 能の正式上演形式の一つ。一日の番組を脇能物(神能)、修羅物、鬘(かずら)物(女能)、雑物(物狂能など)、切能物(鬼能)の順に上演すること。また、その能番組。通常、脇能物の前に「翁」が、能と能との間に狂言が演じられる。近世の江戸式楽の頃から明治、大正頃まで行なわれたが、現在では行なわれることがすくなくなった。
《出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について》

この五番立の演能方式は,年一回能楽協会主催の「式能」という催しで行なわれます。それを知ったのも偶然でした。昨年の11月の国立能楽堂で、年配の女性二人が、パンフレットを手にして、この金額で一日能楽を楽しめるのね、と話していたのを気に留めて、そのパンフレットを持ち帰り、ゆっくりと読み直しました。

発売日の12/14にプレイガイドに電話して、申込み。振込用紙で振り込みます。第一部、第二部は、通し券で同じ席になり、脇正面の前から二列目が取れました。

能楽鑑賞でこんなにわくわくするのも、初めてのことです。
当日は、朝、9時半から、夜の7時半まで、10時間も、国立能楽堂に詰めています。さらに、映画鑑賞とは違い、 (かつて、ヴェルディの生涯という映画を九時間くらいみたことがあります)  前から二列目の席で、地謡や、ワキの方からもよく見えて、とても眠ることはできません。番組も各流派が競って演じるのですから、見ている側も真剣です。

第一部では、すでに二時間を超えたので、狂言の前に抜け出して、食堂で羽衣弁当をいただきました。長期戦になるので、しっかり食事するのも大切と思ったからです。休憩時間は短縮されて、お弁当もすぐに売り切れになってしまいました。

演ずる方が、最高のものを提供しようと表現するのに、見ている側も付いていかなくてなりません。番組については、予習もし、印刷物も持参していました。能楽のレパートリが広がれば、前回見たものと重ね合わせて、あるいは、想像を膨らませて、楽しむことができます。能楽の楽しみとしては、中級編だと思いました。

翁は、昨年の九月に、国立能楽堂 開場35周年記念公演で拝見していました。千歳、翁、三番三の舞によって天下泰平・国土安穏を願い、舞台は祝言の雰囲気に満ち溢れます。
翁     観世清和、三番叟 野村萬斎という豪華な舞台です。二度目なので、心の準備ができていましたが、舞台で面を付けたりとドキドキさせられます。

能  金春流 「生田」 は、あの敦盛の遺児が、亡霊となった父と対面するというもの。子方が気品があって、堂々としていました。これからが楽しみですね。敦盛は、修羅物らしく、武者姿、初めて見た能楽です。

今回の五番を通して、いちばん心打たれたのは、最後の能  金剛流 「綾鼓」。 シテは、種田道一さん、この方は、先日の文化庁文化交流使フォーラム2019」の開催-日本の心を世界に伝える-(第16回文化庁「文化交流使」活動報告会)でお話を聞いたばかりでした。さすがに、アメリカ、フランス、スペイン、イタリア、ハンガリーと、二ヶ月間、能楽という文化で交流を続けた経験が光っていました。

綾鼓は、なんどが見たことがありますが、このような哀しみ、そして、怒りを表現できた方はいなかったと思います。死を意識したような老人が、身分違いの女御に恋をして、そして、底意地の悪い仕打ちをされ、死んだ後、怨霊となって、女御を苦しめる。その激しさに、人間の哀しみが漂っていて、すばらしかったです。

本当に非日常の世界にトリップしている感覚で、能楽五番立てを見た後は、心地よい疲労感と、充足感に満たされていました。来年も体力の続く限りまた、みたいと思いました。

『翁』に始まり一日を通して上演される由緒正しい能楽公演


「第55回式能」より「翁」 観世清和
©公益社団法人能楽協会

式能は江戸式楽の伝統を受け継ぐ由緒正しい方式による能楽公演で、公益社団法人能楽協会に所属するシテ方・狂言方全流儀が揃い、当代一流の能楽師が一堂に会する年に一度の貴重な舞台です。番組形式は”翁付五番立て”として、能の間に狂言を一番ずつ計四番を組み入れた構成となっています。最初に上演される『翁』は、各流儀の代表となる演者が毎年順番で演じることになっており、今年度はシテ方観世流宗家・観世清和が勤めます。

第一部 演目詳細
能   観世流 「翁」  翁  観世清和
三番叟 野村萬斎
※11:10頃
「嵐山 白頭」  シテ   観世恭秀

※12:25頃
狂言  和泉流 「末広かり」   シテ 野村万作

-休憩30分-

※13:25頃
能   金春流 「生田」     シテ 髙橋忍

※14:15頃
狂言  大蔵流 「鬼の継子」   シテ 山本則俊

※終演 14:35頃

第二部 演目詳細
能   宝生流 「祇王」  シテ 大坪喜美雄

※16:00頃
狂言  和泉流 「謀生種」  シテ 野村萬

※16:20頃
能   喜多流 「枕慈童」  シテ 大村定

-休憩25分-

※17:45頃
狂言  大蔵流 「長光」   シテ 茂山千五郎

※18:05頃
能  金剛流 「綾鼓」   シテ 種田道一

※終演 19:25頃

 

みやびとひかり能乃会に行ってきました

12/23 祝日、京都観世会館で行われた、『みやびとひかり能乃会』。昨年に引き続き、今年も参加できました。知り合いの橋本本家の会。今年で34回目だとそうです。
IMG_1986

昨年、烏帽子折で、子方を卒業された充基さんが、今年は花月のシテ方。見ているこちらも身内のように気になって、台詞がうまく言えるか、舞は大丈夫かと見ておりましたが、無事勤め上げてよかったです。

京都ならではの会で、謡本片手に年配の方々もたの楽しんでおられました。花月のあとは、天鼓。こちらはご当主の雅夫さん、光史さん父子が前シテ、後シテをつとめあげられ、充実の舞台でした。

王伯役の雅夫さんは、子を失った哀しみと老いた身の上を上手に表現されていて,天鼓役の光史さんは、帝から許されて鼓を打つ喜びを全身で表していて、力強い演技です。能も静かなだけでなく、喜びの表現は飛んだり跳ねたりします。

今回のテーマは、別れ別れになった父と子の再会、あるいは供養。母が子どもを捜して、物狂いになるのは能楽では多く見られますが、花月のように父が僧侶になるのは珍しいこと。佐渡にいる順徳さんと隠岐にいる後鳥羽さんを思い出しました。このふたりの新作能を作りたいです。

終わると外は真っ暗。いつものようにキッシュと サヴァランを買って戻りました。自主講演なので、プログラムに解説まであって、心遣いを感じます。来年もぜひ、この続きを見ようと決めました。

京都南座の顔見世に行ってきました

毎年この時期に出かける、京都南座の顔見世興行。昨年は改装中で期間も短く、見逃しました。今年は二等席を奮発して、三階の最前列で鑑賞しました。

IMG_1982 IMG_1984IMG_1985

まず着いた日に、JR京都駅の和久傳でお昼、ホテルで一休みして夜の部に、翌日は、早めに起きて、錦でおばんざいを調達。それをお弁当がわりにでかけました。

京都の顔見世は演目もたっぷり。休憩時間も演目ごとにあるだけで、凝縮されています。昼の部の寺子屋、芝翫は江戸風、武部源蔵役の愛之助以下は上方風と違います。亡くなった子どもの回向に焚くお香が舞台から流れてきました。松栄堂さんでしょうか。

鳥辺山心中で可憐な孝太郎と、無骨だが、心の優しい梅玉の道行きでしっぽりとしたところに、仁左衛門とじいさん、ばあさん。時蔵とふたりの甘える姿、幸せな二人がいっぺんして、年月にさらされて、37年ぶりに再会する。個人的な感想では、二人とも年を取りすぎている、もう少し若さが残っていてもいいのではないかと思いますが、残酷な時間の流れをあらわしているのでしょう。敵役の芝翫がねちねちといじめて、そうでないと、物語が成り立ちません。何度見てもはらはらどきどきします。

昼の部最後が新口村。藤十郎一家の上方芝居。舞台の上は雪景色。こちらの道行きは雪の中を死に向かってひたすら進む。その中に親子の情愛が見え隠れします。扇雀の梅川が可憐で、涙をそそります。これだけの演目は一日分。東京なら、休憩を挟んで一日の舞台になります。よいお席でみたので、役者さんの心の動きまでわかるような気がしました。

昼の部
第一、
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

寺子屋
松王丸    芝翫
武部源蔵   愛之助
戸浪     扇雀
涎くり与太郎 中村福之助
春藤玄蕃   亀鶴
千代     魁春
御台園生の前 秀太郎

第二、
鳥辺山心中(とりべやましんじゅう)岡本綺堂 作

菊地半九郎     梅玉
若松屋遊女お染   孝太郎
坂田源三郎     右團次
若党八介      寿治郎
お染父与兵衛    市蔵
若松屋遊女お花   魁春
坂田市之助     左團次

第三、
ぢいさんばあさん  森 鷗外 原作  宇野信夫 作・演出

美濃部伊織    仁左衛門
下嶋甚右衛門   芝翫
宮重久弥     愛之助
同輩の侍     市蔵
同        亀鶴
同        松之助
宮重久右衛門   高麗蔵
久弥妻きく    孝太郎
伊織妻るん    時蔵

第四、
恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)
新口村

亀屋忠兵衛    藤十郎
傾城梅川     扇雀
忠三郎女房    吉弥
父孫右衛門    鴈治郎

夜の部は、いきなり義経千本桜で始まります。仁左衛門のいがみの権太は、ワルですが、可愛らしさがあります。若葉の内侍一向に親切にすると見せかけて、わざと間違えた荷物で強請る、この人がやると、お金を取られても仕方がないと思えるから不思議。お里役の扇雀のくどき、自分で布団を敷いて寝ましょうと誘うのが可笑しい。町娘が結婚できる相手でないことを分からずにいるのが哀しい。弥左衛門訳の左團次が、子どもを殺して後悔する父親をたくみに演じます。父子の別れがひとつのテーマでした。

童子役の鴈治郎の可愛いこと、五月人形のようです。みていてほっとします。

愛之助の弁天小僧菊之助は、菊五郎の演ずる型とは少し違い、娘役なのに、顔は上げて堂々としています。男にばれたときもまた違う、上方で演ずることの珍しい題材のような気がします。南郷力丸役の右團次は、お嬢様をたてて安定した演技。

これでお終いかと思うと、三社祭が残っていました。鷹之資は、富十郎の忘れ形見、踊りのうまさは群を抜いています。これからが楽しみですね。

二日間にわたっての歌舞伎見物でしたが、本当にたっぷりで堪能しました。来年もよいお席で見ようと思います。ロビーにも椅子が多く、お弁当もゆったりと食べられました。夜の部は、タクシーが拾えてホテルにすぐに戻れました。京都に泊まっているからの贅沢ですね。

夜の部
第一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)

木の実
小金吾討死
すし屋

いがみの権太      仁左衛門
弥助実は三位中将維盛  時蔵
お里          扇雀
若葉の内侍       孝太郎
主馬小金吾       千之助
猪熊大之進       松之助
弥左衛門女房お米    吉弥
権太女房小せん     秀太郎
鮓屋弥左衛門      左團次
梶原平三景時      梅玉

第二、面かぶり(めんかぶり)
童子   鴈治郎

第三、
弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)河竹黙阿弥 作

浜松屋見世先より
稲瀬川勢揃いまで

弁天小僧菊之助    愛之助
日本駄右衛門     芝翫
南郷力丸       右團次
鳶頭清次       亀鶴
浜松屋伜宗之助    中村福之助
浜松屋幸兵衛     市蔵
赤星十三郎      孝太郎
忠信利平       鴈治郎

第四、
三社祭(さんじゃまつり)

悪玉    鷹之資
善玉    千之助

以上

国立能楽堂 9月開場35周年記念公演

国立能楽堂開場35周年記念公演ということで、出かけてきました。チケットはわずか7分で完売。プラチナチケットになりました。

翁(おきな)は、能でも、狂言でもない別格に扱われる祝言曲。 最初に翁を演じる正式な番組立て翁付といい、正月初会や祝賀能などに演じられる。翁・千歳・三番叟の3人の歌舞からなり、役は白色尉、三番叟役は黒色尉という面をつける。

地謡は橋掛かりに座ります。面箱を持った千歳が登場し、中から表を出して着けて舞います。初めてみた演目で、古式豊かな風情を感じました。

能、井筒は何度かみていますが、今回は宗家のシテ。在原業平の妻である、紀有恒の娘が昔を思い出し舞い、そして、業平のかたみの冠をつけた、水に映る自分の姿をみて、夫のことを思い出すというお話。哀しさや時の移り変わりまで感じられて、夫婦の情愛にジーンとなりました。

《開場35周年記念公演》

翁(おきな)  金剛 永謹(金剛流)
松竹風流(まつたけのふりゅう) 大藏 彌太郎(大蔵流)

能  井筒(いづつ) 物著(ものぎ)  観世 清和(観世流)

能  乱(みだれ) 置壺(おきつぼ)   片山九郎右衛門(観世流)

京都祇園祭で、前祭を楽しむ

今年の夏は少し異常。東京も34度超えとか。京都は元から暑いので、どんよりした暑さが籠もっています。それでも宵山は熱気があって、暑ささえ楽しんでいる若い人たちでいっぱい。三連休の最後の日なので、どこもにぎわっていました。

そして、7/17は山鉾巡行の日。もう何年になるでしょうか。mixiコミュでお誘いがあって、京都マスターの教える京都の愉しみ方というのをじっくりと、味わいました。暑さは苦手、人ごみは嫌いという自分が、この時期にずっと通い続けているのは、きっと最初の出会いがすてきだったからと思います。IMG_5866

IMG_5880s

暑さ対策として、四条の歩いて戻れる場所に泊まる。日中は出歩かない。疲れたら昼寝もする。ホテル選びは結構重要。二月か、三月から予約を始めます。そして、大阪の松竹座に歌舞伎を見に行く。阪急の駅に近いと、大阪はすぐです。

今年はその前の週に大雨が降ったのに、今回の祇園祭は晴天続き。これはあくまで私感なのですが、大船鉾に龍頭が納まって、心地よく四条を駆け巡る。それで、竜神様が満足して、雨を降らして困らせるのをやめたのではないか。物事が収まる場所に収まると平和が生まれます。

祇園祭は大人だけの世界ではなく、子どもたちも活躍しています。ちまきをうる女の子たち、そして、巡行に参加する男の子たち。みていて、うれしくなります。

IMG_5916sIMG_5957sIMG_5981s

毎年見ていると、いろいろな変化が楽しめます。晴れているので、前懸・胴懸にはいちばん最高のものを使っています。雨の日だとビニールが掛かったのを覚えている方もいると思います。そういう意味で今年はいちばんよい、山鉾をみられたのではないでしょうか。山鉾の案内はこちら

占出山には歌仙の歌と作者の姿が縫い付けられています。さて、どの歌をご存知ですか。晴れているからこそ、こんな写真を撮る余裕があります。IMG_5991s

最後は船鉾。舳先に金色の鷁をつけています。鷁(げき)とは、中国で、想像上の水鳥。白い大形の鳥で、風によく耐えて大空を飛ぶといわれ、船首にその形を置いて飾りとしたとのことです。

IMG_6095s

IMG_6089s

最後まで見終わって、四条通をみると、山鉾渋滞が起こっていました。

IMG_6106s

本来なら、博物館に陳列しているような山鉾が通りを歩くのですから、それだけでも偉大です。これから鉾町まで約二時間あまり、本当に頭が下がります。そして、神事はこれだけではないのです。夕刻、八坂神社での神事のため、早めにお昼を食べて、ホテルで休息します。

 

 

紅天女@京都観世会館

京都は不思議な町です。四条のあたりは大勢の観光客がいるのに、東西線で東山に着くと、そこは静かな町が広がっている。今年は、顔見世のかわりに観世会館に通います。

この日の出し物は、紅天女。あのガラスの仮面の中に出てくる物語を国立能楽堂の企画で新作能として、披露し、それを今回、京都で初演する、というわくわくするようなお話。

あらすじ

一つの伝説がありました。かつて、戦乱と天変地異で世が乱れたとき、一真という仏師が、千年を経た梅の霊木より天女像を彫り、世の乱れを鎮めたといいます。そして再び災いが世を覆ったとき、一人の仏師がその幻の天女の像を求めて旅に出ます…。

今回も演能のまえに、作者の美内すずえさんによる解説があり、それによるとこの話はまったくの創作だとおもっていたら、京都の嵯峨野にある大黒天がそのような言い伝えをもっているといわれたという。聞いてみるとそんなこともあるのかもしれないと思いました。

内容は夢幻能の世界で、この世とあの世を行き来するような軽いめまいを覚えます。西の人と東の人が争っていて、大きな災害があるとき、二つの世界は仲良く助けようと考えるわけです、そして、仏も救済に現れる。天女というのは天からの使者。われわれに伝えようとしているのでしょう。

梅若 六郎玄祥演ずる紅天女、匂うような美しさですが、哀しみも秘めている。初めてみた作品でしたが、とてもわかりやすくそして、素直に心に入ってきました。

京都文化博物館、そして、岡崎の観世会館に行く その2

三条のかつくらからの帰り、寺町通りにすごい行列ができていて、矢田寺で『かぼちゃ供養』をやっていた。こちらのかぼちゃをなぜて、炊きだしたかぼちゃをいただくと無病息災になるという。次回は並んでみようかしら。

観世会館は東西線の東山からあるいて7分くらい。夏は辛かったが、今日は暖かい。途中にフレンチのオ・タン・ペルデュがあって、帰りにはテイクアウトのお菓子とお惣菜を調達することにしている。

今回の演目は橋本光史の長男、充基が牛若丸を演ずる『烏帽子折』。こちらは京都でもなかなか上演する機会のない番組だという。というのも適当な子方がいないと成立しないわけで、わたしも初めてみた。

こちらでは、子方から大人になる卒業作品という位置づけらしい。一門総出で、新しい門出を祝い、参加する。今年は、紅葉狩りで鬼女六名という華やかな舞台を見たが、こちらも後半で、熊坂長範以下、手下六名が思い思いの扮装で闘うのが派手でいい。

さすが京都だと思ったのは、最初に解説があり、そして、作品の背景、登場人物などが詳しく語られる。上演されることが稀な作品で、初会というかたも多いのだろう。今回は、知り合いのシテ方も縁者ということで手伝っていた。

無事、舞台を勤め上げて、ほっとされたと思う。厳しい練習の成果が見事に出ていて感激した。次回また、このような機会があったらと思う。

帰り道、オ・タン・ペルデュで、キッシュと、タタンタルト、ラム酒入りのケーキを求めて戻る。今日は天皇誕生日、ということで、これらの品物で夕飯にした。12/25も演能があって、楽しみ。この時期の京都はやはり、充実している。