四月、七月と第一部、第二部をみて、いよいよ最終章の第三部。今回は東京から新大阪経由で、日本橋の文楽劇場に向かう。
三宅坂の国立劇場小劇場でみる文楽と、大阪文楽劇場で見る文楽はどこかが違う。何が違うのか、三回も見ていると気がつくことがある。大阪弁の飛び交う電車に乗り継ぎ、大阪の人が集まっている劇場に着くと、そこはアウエー感満載。非日常、あるいは、上方へのタイムスリップをしたような気分になる。
劇場の座席配置が違う。語り部の太夫さんたちの汗が飛ぶといわれる3列の端の席に着いて、熱演振りを見ていると、人形の大きさも人形使いの顔が見えるのも気にならない。太夫さんたちの独演場。もちろん、人形芝居が物語の進行をわかりやすく表現するのだが、その息遣い、哀しみ、耐える風情。人形に命を吹き込んで演技をさせている。東京でみる文楽は、どこかよそよそしくて、ここまでの熱情が伝わらない。大阪は熱い、そして、濃い。若い人が大勢出ているのもうれしい。登場人物のひととなりが、わかりやすく、無駄なく、ストレートに伝わってくる。たしかにこういう人がいたのだろうと、素直にうなづける。
第三部の華は、やはり 『八段目 道行旅路の嫁入』母と娘が山科を目指しての二人旅。東海道を登っていく。ふたりの情愛の濃さに、心打たれるが、実はなさぬ仲の親子。可愛い娘に、閨のことまで語って聞かせる。太夫の語る台詞がうきうきと楽しい。
山科の大星宅に入り込んだ二人は許婚の母、お石と対面するが、ここは色で決めている。お石は黒、戸無瀬は赤、小浪は白、と並ぶのだ。色まで演技している。
『九段目 雪転しの段』で、虚無僧姿の加古川本蔵が登場するが、ここからは、腹のさぐりあい、本心を隠して、どうしても娘を許婚のもとに送りたい父の本心が見え隠れする。それは大星も同じ。どうせ生きては助からない人だからと、秘密の話を打ち明ける。師直に賄賂を贈り、媚びへつらうようにみえた本蔵は、実は、腹の据わった立派な武士だと、ここで明かされる。
『十段目 天河屋の段』大星が義平を試すのだが、その裏に哀しい夫婦わかれ、残された子どもの哀しみが胸を打つ。江戸時代にはこんな去り状一通で夫婦か別れさせられたのだろか。
『十一段目 花水橋引揚より』
『光明寺焼香の段』このふたつは完全に武士の世界観。若狭助が義士たちを労い、また、焼香場では、やはり大星がみなが納得するように仕切る。
通し狂言を全部見た感想としては、やはり、見所満載のお芝居だと思った。今では、歌舞伎のほうが自由度が高く、役者の格に合わせて、各段を繋いでいく。ひとつひとつが独立しているから、一場面、二場面でも十分に魅せられる。
文楽の場合は、太夫の力量に大きく左右される。それは、サッカーで一試合走り続けようなもの。汗はかかずとも、もともとの力のある人の段はすばらしい。近くでみているとよくわかる。
当時の幕府批判にならないように、鎌倉を舞台に、足利家を将軍にと替えているが、師直の紋が葵のご紋。これが徳川批判となるのは明々白々。第一部では新しい発見が多かったが、その分、太夫さんの語りに集中していなかったかもしれない。
新春に『加賀見山旧錦絵』をやるとのこと。松竹の新春歌舞伎とあわせて関西に来るか、悩ましい。
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第2部 午後4時開演
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
(八段目より十一段目まで)
八段目 道行旅路の嫁入
九段目 雪転しの段
山科閑居の段
十段目 天河屋の段
十一段目 花水橋引揚より
光明寺焼香の段
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2019/11172.html