石岡瑛子展で、びわ湖の仇を討つ

2021年2月14日まで開催の石岡瑛子展に行ってきた。事前予約のおかけで、すぐに入場、空いている館内で、鑑賞する。資生堂時代の作品や、パルコの一連のポスターにはなじみがあって、同じ時代を生きていたのだと実感する。

わたしよりも、はるかに年上の方なのだが、彼女がアートディレクターとして活躍した時代が、ぴったり合致しているのだ。同時に、若いときに受けた刺激、感銘、驚き、発見などはいまも変わらないのだと、驚く。それは感性に似ていて、生活や経験の影響を受けず、心意気、あるいは、感受性とよばれるもの。その引き出しにしまわれたものは、時が経ても色あせずに変わらない。

三年前、パリで二十年以上ぶりの友人と、ダリの展示会を見て歩いていたが、好きな色、好きなデザインが同じなのだ。だから、この人と友だちだったのだと気づく。

そういう意味で、石岡瑛子さんの感性は、ぴったりと合っていた。だから、いまでも覚えているのだろう。心のストライクゾーンに直球を打ち込むように、リスクも犯しながらの挑戦である。それができたのは、時代もある。セゾングループや、パルコ、角川書店など、宣伝部や予算が活躍の場を与えてくれた。

そんな感慨にふけりながら、次のステージへと移る。こちらは、海外での音楽、映画、そしてオペラのコスチュームまで、あまり知られていなかった業績である。
『ザ・セル』(映画 2000)、『落下の王国』(映画 2006)と回って、今回の目玉ともいうべき、オペラ 『ニーベルングの指環』 (リヒャルト・ワーグナー作、ピエール・アウディ演出、オランダ国立オペラ、1998-1999年) 衣装デザイン のコーナーに向かった。

こちらすでに五時間のトーク番組でも紹介されていて、ヴォータンの妻、フリッカの持つ羊の頭の杖とか、じっくりと見たかった。指環に出てくる登場人物の衣装が順番に展示されており、それをまとって歌う、オペラ歌手の姿を想像してみる。すると、
隣の小部屋がミニシアターになっていて、オペラのハイライトシーンを上演しているのだ。実際に衣装を着けた生きた人々が歌っている。

ドイツ語による上演、字幕なし、物語は飛び飛びで紹介。でも楽しかった。パリのバスチーユで見たものと比較して、ここは違うという箇所を見つけて喜ぶ。パリの指環は禁断の愛がひとつのテーマだったが、ここオランダでは、違っていた。

うれしくて、二回も見てしまった。

そして、家に帰り家族に話をすると、うちにも日本人が衣装デザインした指環のDVDがあるという。デザインをみると同じ。中のリーフレットにはコスチュームデザイン、Eiko Ishioka とある。さっそく、最終回の神々の黄昏を見る。同じものだった。青い鳥ではないが、ずっとこのDVDは家にあった。さらに購入したのは、わたしらしい。石岡瑛子さんのことを知っていて買ったのでなく、単なる偶然。でも、思いがけず、びわ湖の仇を討つことができた。

 

びわ湖の仇を、バスチーユで討つという話

今年はびわ湖オペラの最終回、『神々の黄昏』が上演されるはずだった。

知り合いが出演しているからと、2017年『ラインの黄金』2018年『ワルキューレ』と出かけ、これは4年連続になるのだと気づかされる。昨年は、チケットが売切れと聞き、再販売の日、移動中の電車から電話予約した。本当にチケットが取れたのか、劇場にでかけるまで不安もあったが、無事、『ジークフリート』を見ることができた。今年も、最後に残ったS席二枚を確保。スケジュールを調整して、前日に京都、当日はびわ湖にあるドイツレストランを予約し、ドイツオペラを見ることにしていた。

それがコロナウイルスの影響で、公演は中止というお知らせ。聞いた日は、ショックで夕食も作れなかった。頭の中で、4年間の集大成が、無くなるのはどういうことなのだろうか、となんども思い惑う。

『びわ湖の仇を、バスチーユで討つ』。そんなとき、何度か出かけているパリオペラ座から、今年の Ring2020  の案内メイルが届く。パリで、『指輪』をやるのは知っていた。Interview with Philippe Jordan、演出はこのチャーミングな方で、新演出。

わたしは2013年にLa Walkyrie を見ている。パリバスチーユ、デビューの年。そして、見るなら、ジークフリートだろうと考えていた。そこに、このびわ湖の中止のお知らせ。これは、もう『神々の黄昏』をパリで見るしかないと、思う。幸いにして、いつも予約がとれないサン=ジェルマンディプレのホテルが取れた。わずか、一週間の滞在だが、『神々の黄昏』の最終日11/21のチケットが取れた。

そうこうしているうちに、びわ湖では、3/7、3/8の公演を無観客で演奏し、web配信するという発表。これは嬉しかった。13時から19時まで、途中、二回の休憩時に食事の支度をし、ローストビーフを焼き、ごはんを食べながら、オペラをみるという贅沢。終演後の指揮者の沼尻竜典さんは、よれよれに疲れていたが、初めてのことを見事に成し遂げて、すばらしい。

京都市交響楽団の演奏も、今回は特別に冴えていたように思う。歌い手も必死だが、演奏する人たちも、最高のものを出し切ったと思う。

せっかくの機会だから、やはり、生で、新演出なオペラをみたい。パリでは、滞在中に自分のお誕生日も迎え、きっと最良の一週間になるだろう。びわ湖が中止にならなかったら、この時期にはでかけなかったはず。11月のパリに感謝して暮したい。

 

追記
3/11に江川紹子さんから、

びわ湖ホールオペラ無観客上演・ネット中継はどのように実現したか~文化や経済の黄昏を招かないために

の記事が出た。リンクしておくのと、リンクはいずれ消されるから、いかに全文載せておく。

(以下引用はじめ)
びわ湖ホールオペラ無観客上演・ネット中継はどのように実現したか~文化や経済の黄昏を招かないために
江川紹子  | ジャーナリスト
3/11(水) 16:20

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《神々の黄昏》無料ライブストリーミングを告知するびわ湖ホールのホームページ

政府の文化・スポーツイベントなどの自粛要請で、クラシックのコンサートやオペラ公演も相次いで中止に。そんな中、通常の公演は断念したものの、無観客上演を行い、それを動画配信サイトYouTubeで無料生中継した滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールのオペラ《神々の黄昏》が、大きな評判を呼んでいる。

視聴数は、最も多い時で同ホールの客席(1,848席)の6.6倍を超え、2日間でのべ36万8520アクセスを記録した。日本のオペラ史上に記録されるだろう、今回の出来事はどのようにして実現し得たのだろうか――。
「なんとかやれる方法はないか」

安倍首相が自粛要請をしたのは、2月26日。首相はさらに翌日夕、全国の学校の一斉休校の要請も行った。そのニュースに、びわ湖ホールの山中隆館長は危機感を深めた。

「『これは(開催が)危ないな』と思いました。でも、1か月くらい前から、ヨーロッパからも歌手が集まって、公演に向けて、まさに稽古の真っ最中なんです。彼らに『公演は中止する』なんてとても言えません。ギャラを払えばよいだろう、などという話ではありません」(山中館長)

《神々の黄昏》は、ワーグナーの大作《ニーベルングの指輪》4部作の最終章。びわ湖ホールは、2017年の《ラインの黄金》を皮切りに、毎年1作ずつチクルス上演してきた。ドイツのオペラ演出家ミヒャエル・ハンペさんと美術担当のヘニング・フォン・ギールケさんが作る舞台は、ワーグナーがオペラに込めたイメージを、巧みなプロジェクション・マッピングなど現代技術生かして再現する美しいものだ。

歌い手は日本人歌手が多くを担う。今年も、両日のジークフリート役と初日のブリュンヒルデ役以外は、日本で活躍する最も優れた歌い手を集めて配役が組まれた。指揮は、ホール芸術監督の沼尻竜典さんが務め、演奏は京都市交響楽団が担った。

オペラは準備に時間がかかる。主役のブリュンヒルデを務めた池田香織さんの場合、2年前に譜読みを始め、時間をかけて音楽を体に落とし込むと共に、高い音域を常に出せるようにトレーニングを積んできた、という。歌手だけでなく、スタッフもいっしょに、大がかりなプロジェクトを作り上げてきた。現場の舞台作りにかける思いとこれまでの努力を考えると、締めくくりとなる《黄昏》が上演できないのは、山中館長にはあまりに忍びなかった。
2017年に始まった《びわ湖リング》。《ラインの黄金》終演直後のびわ湖ホールのツイート

それに、《びわ湖リング》は好評で、《黄昏》は昨年11月にチケットが売り出されると、すぐに2公演とも完売した。中止となれば、お客の期待に応えられない。オペラは指揮者、歌手、オーケストラなど多くの人が関わっており、延期してスケジュールを再調整する選択肢はなかった。

「県から中止の指示が出たとしても、何とかやれる方法はないか、と職員たちと話し合いました。そんな中、みんなからいろいろ知恵が出てきた。まず出てきたのが、無観客で上演してDVDに収録する、という案でした」(山中館長)

県からは、中止になりそうだ、という話が伝わってきた。山中館長は、居ても立ってもいられず、県庁に乗り込み、「なんとかやりたい」と訴えた。いざとなれば責任をとる腹はくくっていた。そのうえで、「どうしても中止という結論になる場合は、それを決定する会議で、必ず無観客上演とDVDの話をして欲しい」と頼み込んだ。
重大なお知らせと提案を同時に
初日冒頭、運命を司る女神ノルンの場面。びわ湖ホール提供

稽古の現場にも、雲行きが怪しいという雰囲気は伝わっていた。ダブルキャストの初日組に出演の金子美香さんは「毎日毎日、これは危ないんじゃないかとみんなで言いながらの稽古の日々でした」と言う。一方、二日目組の池田香織さんは、「世の中がそういう雰囲気になっていたから、いつ(中止決定が)来てもおかしくないな、とみんな心の中で思いながら、それを誰も口に出さずにお稽古してました」と語る。どちらの組も、稽古場に微妙な空気が流れる中、それでも現場は公演に望みをつないでいた。

28日朝10時頃、県から「公演中止」の指示が来た。ただ、山中館長が訴えていた次善の策、無観客上演とDVD化は容認された。13時にすべてのスタッフとアーティストを大ホールに集め、山中館長がこう切り出した。

「重大なお知らせと提案があります」

県の指示があり、今の状況から見て公演を中止にせざるを得ないことを伝えた後、「提案」を伝えた。

「無観客で上演して、それをDVDにしたい。コロナに負けずに、最後までやり抜きましょう」
一人でもイヤだと言う人がいれば…

一斉に拍手が起きた。山中館長は、率直に内情を打ち明けた。

「ただ、私たちの財団には余裕がなく、(DVD化に伴う)フィーを払うことができません。無料で承諾していただけますか」

これにも皆が賛同した。それでも、山中館長は次のように告げるのを忘れなかった。

「今のこの雰囲気の中で、本当はイヤなのに言い出せない方もいるかもしれない。今日いっぱい待ちますので、イヤだという人は、そっと伝えて下さい」
館長の言葉に一致団結

1人でも反対する人がいればできない、と山中館長は考えていた。歌い手たちも、どきどきしながら1日待った。しかし、ノーを告げる人は、1人もいなかった。

歌手の池田さんは、この時のことを、こう振り返る。

「館長が、『これまでやってきたことに誇りをもって、コロナに負けないで、私たちの気概を世間に示したい』をおっしゃった時、この作品をどれだけ大切に思っているかが伝わってきて、胸にぐっと来ました」

中止決定と同時に、「提案」で新たな目標を提示され、アーティストやスタッフの集中力は高まった。

歌手の金子さんも、館長の言葉は大きかった、という。

「館長さんが『コロナに負けないで最後まで駆け抜けましょう!!!』とおっしゃったとき大拍手でした。それで、みんなで一致団結して、がんばってきました」

金子さんの役は、作品の冒頭に登場する、「運命の綱」をあざなう3人の女神ノルンの1人。両組のノルン役6人は、毛糸で「運命の綱」を編み、英断に対する感謝の思いを込めて山中館長にプレゼントした。
ノルンを演じた6人が山中館長にプレゼントした手作りの”綱”。金子さん提供
スタッフの発案で決まったネット中継

山中館長は、テレビ局に収録ができないかも打診してみたが、「話があまりにも急で準備ができない」と断られた。テレビ局収録の場合、数台のカメラを用意し、カット割りをあらかた決めておくなどの準備に相当の時間がかかる。やむを得ないと断念した。

すると、同ホールのスタッフが「こういうこともできるんじゃないか」とYouTubeを使った生中継を提案。アーティストたちの意見を聞くと、これも皆の賛同が得られた。
一人でも感染者が出たら……

3月5日に無観客公演と無料ライブ・ストリーミングの実施を公表。しかし、その後も山中館長は薄氷をふむような思いでいた。

「ずっと不安だったのは、アーティストや僕たち職員の中から、1人でも感染者が出たら、やめなければならない、ということです」

職員らはマスクを着用し、館内のあちこちにアルコール消毒液を置くなど、感染防止に気を遣った。
無人の客席、静かなカーテンコール

本番当日。座席は空。1階にいたのは収録と中継のためのスタッフのみ

そして迎えた初日。客席の1、2階は無人で、3階席に報道陣や関係者数十人がいるのみだった。その前で、山中館長はこう挨拶した。

「ここまでの懸命の努力を無駄にしないために、無観客公演を決めました。ここまでこぎ着けた、アーティスト、スタッフ全員に感謝し、彼らを誇りに思います」

その後登場した、指揮者の沼尻音楽監督が客席に向かって一礼。通常はここで拍手が起きるが、今回はそれがない。オーケストラに向かいタクトが振り下ろされると、その後はひたすら豊穣な音楽がホールに響いた。上演中は、指揮者も歌い手も、無観客であることはほとんど意識せず、音楽に集中していた、という。

初日、静かに行われたカーテンコール。びわ湖ホール提供

6時間の熱演が続き、上演は終了。普通であれば、割れんばかりの拍手や「ブラボー!」が飛び交うはずが、それがない。静かな静かなカーテンコールは切なく感じられたが、ソリストや合唱団、最後に舞台に上がったオーケストラのメンバーらは、それでも笑顔で何度もカメラに向かって挨拶した。緞帳が下りると、その向こうでは歓声と拍手が上がった。
「これは奇跡だ」

この時、その間全国のパソコンの前では、たくさんの拍手が鳴っていただろう。中継は最多の時で1万1916人、延べ20万646人が鑑賞し、「#神々の黄昏」はツイッターでトレンド上位に上がり、ニュースにもなった。評判が評判を呼ぶ形で、2日目には最多時の視聴者が1万2246人に達した。
ツイッターでたくさんの拍手が寄せられた

この結果に、山中館長は驚きを隠さない。

「すごく心配だったんです、実は。どんな映像になるのか、どんな風に聞こえるのか、ちゃんと配信できるのか……。チケット買った方たちくらいは見てくれるかな、というくらいに思っていたんですが、やってみたら、きれいな映像で、こんなにたくさんの方に見ていただけた。見てくださった方から、インターネットでご寄付も相次いでいる。見ていただいてうれしいし、たとえ少額でもご寄付下さるというお気持ちが本当にうれしい。これをきっかけに、オペラに興味を持って下さる方が増えてくだされば、素晴らしい展開だと思う」

沼尻芸術監督も、「これは奇跡だ」と驚嘆する。

「ドイツの仲間も(時差のために)朝5時から見てくれたり、私の父も87歳になってここ(びわ湖)まで来るのはしんどくなっていますが、今回は自宅で見てくれた。ネットの力を感じた」
できるだけ早く次善の策を準備する

このような結果を生み出した山中館長の危機管理の秘訣を尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「何かあって計画通りコトが進まない時には、できるだけ早く『次善の策』を考えることが大事。うちの職員は、すぐに前向きに考えを切り替えて、『こういうことができるんじゃないか』と考えてくれる。それで、中止という残念な結果を伝えると同時に、新たな提案をすることができた。いいスタッフに囲まれて幸せです」

危機を乗り越えるたびに高まる現場力

実はびわ湖ホールは、これまでもいくつかの「危機」を乗り越えてきた経験がある。

2018年9月30日には、開館20周年記念演奏会として、「千人の交響曲」と呼ばれる大規模なマーラー交響曲第8番を演奏することになっていた。合唱には、アマチュアの市民も加わって練習を重ねた。

ところが、天気予報でその日は大型台風が接近し、公演ができない事態が予想された。

稽古が順調に進んでいたので、前倒しで本番ができないかと考えた沼尻さんが、山中館長にメールで打診。それを受けた山中館長はスタッフと相談のうえ、28日午前、翌日に緊急特別演奏会を開くことを決定。異例の対応だった。スタッフ総出でチケット購入者に電話やSNS、ホームページで連絡し、出演者のスケジュールを調整した。29日(土)午後4時からの演奏会には、30日のチケットはそのまま使え、当日券も販売。告知時間は1日しかなかったが、それでも800人ほどの観客が集まった。

予報が伝えていた通り、30日は大型の台風により大荒れ。電車も止まり、本来予定していた公演は中止となった。緊急公演を聞けなかった人には、チケットの払い戻しを行った。

昨年も、オペラの公演中に突然停電が発生し、歌手が空中のゴンドラに取り残されるアクシデントがあった。15分ほどで復旧したが、設備点検のために公演は1時間ほど中断。スタッフは観客の対応に追われた。

ホールのスタッフは、「危機があるたび、”現場力”は高まっていきました」と言う。

そんなこのホールについて、歌手の池田さんは賛辞を惜しまない。

「びわ湖ホールさんは、フットワークが凄い。いろいろ事件があっても、パッパッと次の策を打ち出して、トップがどん!と勇気を持って動いて下さるから、私たちもがんばろうという気になります」

2日目にブリュンヒルデを演じる池田香織さん。びわ湖ホール提供

勝手に応援団

今回のライブ・ストリーミングの成功は、なんとか上演を実現しようとするホール側の決断と努力、そして何より演奏や演出の素晴らしさがもたらしたものだが、もう1つ忘れてはいけない要素がある。それは、この企画を応援しようという音楽愛好者の勝手連的な応援の力だ。

今回の中継は準備に時間がなく、ドイツ語上演なのに中継映像に字幕をつけることができなかった。《黄昏》はクラシックファンでも食わず嫌いがいるほどの大作。しかも前3作を見ていない人には敷居が高い、と思われた。

その敷居を少しでも低くしようと、自発的な協力者があらわれた。

アマチュアながら、4年間かけて《リング》全曲を演奏会形式で演奏した愛知祝祭管弦楽団は、「びわ湖ライブビューイング勝手に応援企画」として、自分たちの公演プログラムで好評だった、あらすじ漫画をネット上で公開した。「オペラ対訳プロジェクト」も、「びわ湖がんばれ!ワーグナー《神々の黄昏》歌詞対訳あります」と対訳の掲載ページをSNSで案内。

広瀬大介・青山学院大教授(音楽学)は、「びわ湖ホールでの『神々の黄昏』無観客配信を応援するため」として、《黄昏》に関する自身の過去ツイートを選んで、「見どころ・聞きどころ」をTogetterにまとめた。オペラの演出研究が専門の森岡実穂・中央大准教授は、オペラの進行に合わせて、物語の展開や歌詞をツイッターで次々に伝えた。
字幕がない中継を補った森岡さんのツイート
新しい扉が開いた

森岡さんは、その動機を次のように語る。

「今回のストリーミングを知った時、うれしいと思ったのと同時に不安も感じました。多くの方に素晴らしい舞台を気軽に『お試し』いただけると思う一方、初めての人が字幕なしで、このややこしく長大な《黄昏》を見たら、『ワーグナーって難しい』『オペラは難しい』という印象を持たれてしまう可能性も大いにあるな、と。そこで、どうせPCやタブレットで見るなら、ツイッターで実況ガイドをするのもありだな、と思いつきました。基本的に初見の方を対象に、『長さ』『難しさ』による苦手意識を回避できるようなリードをするという方針で」

6時間キーボードを打ち続けるのは結構大変だった、という森岡さんだが、終演後は多くの感謝の言葉が寄せられた、とのこと。

「やっぱり『字幕がなくて困っていた』という方が多くて、迷子係をやっておいてよかったと思いました。長い作品ですが、『リアルタイムで説明が入ることで挫折せず見通せた』という方もいらっしゃいました。『自宅で、リラックスして観られた』『SNSでワイワイ突っ込みを入れながら観られた』という意味では、新しい楽しみ方の開拓につながるのかもしれません。

このストリーミングを通して新しい扉が開いたといっていいのではないでしょうか。状況が落ち着いたらもちろん劇場に足を運んでいただきたいですが、オペラを提供する側ももっといろいろな選択肢を用意することができると気づきました」

沼尻芸術監督も、「毎回、しかも無料でやるわけにはいかないけれど、折を見て、またこういうことができないかな、と思う」と語る。

文化芸術は水道の水ではなく…

そんな期待が膨らむ一方、突然の首相による要請で、あっという間に全国に広がった文化行事自粛モードが、いつまで続くのか分からない不安は、文化芸術に関わる人々に広がっている。山中館長もそんな思いを吐露する。
上演が終わって記者会見する山中館長(左)と沼尻芸術監督

「今回の公演だけで払い戻しが6000万円近く。他の公演も中止が相次いで決まっています。それで終わるのか、今度もまた中止が続くのか、どこまで損害が膨らんでいくのかを考えるので、頭がいっぱいの状態です」

沼尻芸術監督もこう訴える。

「自分たちはできることを精一杯やるだけなんですが、この災難がどれだけ続くか分からない。文化芸術は水道の水じゃない。今は水不足だからと、ちょっとの間止めておくつもりが、次に蛇口をひねった時には何も出なくなる、という可能性があるんです。文化芸術は、ずっと継続してやってきているからできる。そういうことを考えていただきながら、この騒ぎが収まった時に、また活気が戻るようにして欲しい」
お金ややりがいを失っても人は死んでしまう

主役を務めた池田さんにも聞いた。

「人は、ウイルスでも死ぬけれど、お金がなくなっても死んじゃうし、やりがいがなくなったり気持ちが落ち込んだりしても死んでしまうことがある。その人にとって今、何が大事かを、考えていきたい。何がなんでも演奏会を開く、というのはよくないでしょうし、お客様には(演奏会に)来ない自由もある。けれど、来たいという人もいらっしゃるので、どうやってバランスをとっていくか、ということではないかと思います」
気持ちだけで動かず、自分で考えたい

日本の文化や経済が黄昏れてしまわないために、どうしたらいいだろう。この問いを池田さんに投げかけると、少し考えてこんな答えが返ってきた。

「ジョークでこういうのがありますよね。人に何かをさせたい時、イタリア人には『女性にもてますよ』と言い、ドイツ人には『それが決まりです』と言い、日本人には『お隣もなさってますよ』と言えばいい、と。私も日本人なので気持ちは分かるんですが、でも、それぞれ立場と事情があるんですよね。『みんながそうしているから』ではなくて、『私は、こういう状況だから今はコンサートに行かない』と考える人がいてもいいし、『私はこういう訳でコンサートに行きたい』という人がいてもいいのでは。周りに流されるんじゃなくて、きちんと自分の意思を持って、自分で考える。気持ちだけで動かないというのが一番大事かな、と思っています」
公演を実施する民間イベントも

民間主催の文化イベントの中には中止をせずに、様々な対策をとって行う選択をするところもある。たとえば、びわ湖リングが公演中止を余儀なくされた、3月7日と8日、東京・上野の東京文化会館では、パリ・オペラ座のバレエ《オネーギン》の公演が予定通り行われた。

会場入口に赤外線サーモグラフィを設置し、体温が高い人には検温のうえ入場を断ると告知し、換気のために休憩時には外につながるドアを開けたり休憩時間を長くとるなどの対策をしたうえでの実施。それでも健康への懸念から来場を断念する人には、払い戻しを受け付けた。

2月29日から自粛をしていた宝塚歌劇団も、3月9日には消毒を丹念にし、検温のサーモグラフィーを設置するなどの対策をして公演を再開。観客には、マスク着用や出演者の出待ち自粛を求めた。
萎縮もリスク要因の1つ

宝塚の判断に対しては、「無責任」「軽率」などという非難があり、歌劇団は再び中止に転じた。

ただ、文化イベントにも様々な種類があり、実施のやり方もいろいろだ。

新型コロナウイルスに関する専門家会議が指摘する、(1)換気の悪い密閉空間(2)多くの人が密集(3)近距離での会話や発声――が感染リスクを高めることを踏まえ、現在の感染状況を注意深く見つつ、様々な対策をとったうえで、実施できるかどうかをそれぞれの主催者が判断する、というのはありではないか。それを非難してやめさせようとするより、対策に不十分な点があれば、丁寧に指摘して改善を求めていく、という発想が必要ではないか。

そうなると観客も、会場やイベントの内容、そこに至るまでの交通経路、年齢や健康状態などを考えて、行くか行かないかを自分で判断する必要に迫られる。

今回のコロナ禍は、長期化する可能性もある、という。終息宣言がなされるまで、ずっと萎縮した状態が続けば、経済はどん底に落ち込み、文化の継続性も危うくなる。「お金がなくても人は死んじゃう」ことを考えると、萎縮もまたリスク要因の1つと言えよう。

ウイルス感染のリスクと萎縮によって文化や経済が崩壊するリスク。こうしたいくつものリスクを勘案し、どのようにバランスをとっていくか。イベントの主催者も観客も、自分自身でそういうことを考えながら行動していく時代にいるのだと思う。
みんなで乗り越えたい

最後に、ツイッターで《黄昏》中継のナビゲートをした森岡さんの言葉を紹介する。

「私は大学で職を得ているので、こういう時こそ『研究の社会への還元』のひとつとして、お役に立てればという気持ちもあります」

「ヨーロッパの歌劇場で音楽監督を務めた経験を持つ大野和士さんと沼尻さんが、東西の大劇場のトップとして、システムとしての『劇場』をちゃんと日本に根付かせることができたら、日本のオペラ界はおおいによくなると思います。だから私は機会があれば、できる応援は全部したいと思っています。当分難しい時期は続くでしょうが、文化にかかわる人間みんなで乗り越えていきたいですね」

《神々の黄昏》最後の場面。黄金は浄められ、ラインの水底へ戻った。びわ湖ホール提供

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江川紹子

(以上引用おわり 出展 Yahoo Japan ニュース)

 

大阪文楽劇場で、心中天網島を見てきました

京都から大阪まで、二日連続で通っています。阪急烏丸から、梅田行きの特急に乗って、淡路で乗り換える。同じホームから堺筋線の天下茶屋行きが出て、日本橋で下車。七番出口が文楽劇場です。

今日の芝居は、心中天網島。9月に東京国立劇場小劇場でも開催されたのですが、どうしても大阪で見たかった演目です。出てくる地名も大阪のひとには馴染みがあって、また、人物設定もここでは無理なく感じます。サラリーマンの多い東京に較べて、小さくても一軒の店を構えているひとなら、お金の算段、家族の人間模様などひしひしと伝わってきて、納得することが多いのです。

本来は、男と女の色模様のはずが、大阪の商人が主人公になると、奉公人、親族、兄弟などが次々と登場して、恋物語が、金算用、あるいは、商売のため、親孝行のためと、がんじがらめに縛られていきます。

可愛い子どもが二人いて、夫婦仲もよく、なぜ、紙屋治兵衛は、曽根崎新地の遊女、紀の国屋の小春と、心中まで考えた深い中になるのか。長い間、疑問でした。それがこの芝居をみて、解けたような気がします。回りが放っては置かないのです。兄は、侍に姿を変えてまで、小春の心底を知りたいと思うし、妻おさんの父親はなにかあると、おさんを実家に連れ戻そうとする。いきなりやってきて、嫁入りの箪笥の引き出しを開けて、中身までチェックする。姑ではない、実の父親です。こんなことは、江戸の大店の主人は、けしてしないでしょう。ここでは、黙って見過ごしこともなく、気持ちを推量することもなく、ストレートに怒りや、驚きをぶつけてきます。

治兵衛は、こんな息が詰まるような日々から逃れたくて、小春との、親族のかかわりのない自由さを求めたのではないでしょうか。小春は所詮、遊女ですが、それでもひとときの真実の愛にふたりはすがっていたのだと思います。

一方で、小春も、おさんも本心を隠したまま、治兵衛の気持ちを大切に、心中して死なすことは避けて、縁を切ること、そしと、家にあるお金まで添えて、身請けを請うことを思いつきます。ふたりの健気な思いは、けして実らず、物語は悲劇へとまっしぐらに進んでいきます。

この講演も、三列目の右端、語り部の太夫さんのお顔がよく見えます。三味線の方が、弾きながら、声をかけていくのも聞こえます。台詞は、笑いをとるものもあり、客席からも笑い声が聞こえてきます。心中物に笑う場面があるというのも、初めて知りました。悲劇は日常の中にあって、何かが反転すると、始まるのです。

小春もおさんも何も主張はしない、うつむいて、耐える感じです。その下で、心中をやめさせるような手紙を送ったり、わざと縁切りしたりと、治兵衛より、ずっと複雑な感情をもち、芯は強いのです。 この二人の女を幸せにしてやることは、治兵衛にはできません。 死ぬことで、赦しをこう。いや、自分たちの他は何も考えていないのでしょう。 こんな男がもてるのです。それも事実かもしれません。

物語は、語り部の声に連れられて進み、そして、終わります。じっくりと堪能しました。終演後、隣の席の方と少しお話して、いい芝居だったというと、この席がよかったのよ、と言われました。お隣がよい方だったので、芝居に集中できたのでしょう。

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第1部 午前11時開演
近松門左衛門=作
心中天網島 (しんじゅうてんのあみじま)
北新地河庄の段
天満紙屋内の段
大和屋の段
道行名残の橋づくし

大阪文楽劇場に、仮名手本忠臣蔵 第三部を見に行く

四月、七月と第一部、第二部をみて、いよいよ最終章の第三部。今回は東京から新大阪経由で、日本橋の文楽劇場に向かう。

三宅坂の国立劇場小劇場でみる文楽と、大阪文楽劇場で見る文楽はどこかが違う。何が違うのか、三回も見ていると気がつくことがある。大阪弁の飛び交う電車に乗り継ぎ、大阪の人が集まっている劇場に着くと、そこはアウエー感満載。非日常、あるいは、上方へのタイムスリップをしたような気分になる。

劇場の座席配置が違う。語り部の太夫さんたちの汗が飛ぶといわれる3列の端の席に着いて、熱演振りを見ていると、人形の大きさも人形使いの顔が見えるのも気にならない。太夫さんたちの独演場。もちろん、人形芝居が物語の進行をわかりやすく表現するのだが、その息遣い、哀しみ、耐える風情。人形に命を吹き込んで演技をさせている。東京でみる文楽は、どこかよそよそしくて、ここまでの熱情が伝わらない。大阪は熱い、そして、濃い。若い人が大勢出ているのもうれしい。登場人物のひととなりが、わかりやすく、無駄なく、ストレートに伝わってくる。たしかにこういう人がいたのだろうと、素直にうなづける。

第三部の華は、やはり 『八段目 道行旅路の嫁入』母と娘が山科を目指しての二人旅。東海道を登っていく。ふたりの情愛の濃さに、心打たれるが、実はなさぬ仲の親子。可愛い娘に、閨のことまで語って聞かせる。太夫の語る台詞がうきうきと楽しい。

山科の大星宅に入り込んだ二人は許婚の母、お石と対面するが、ここは色で決めている。お石は黒、戸無瀬は赤、小浪は白、と並ぶのだ。色まで演技している。

『九段目  雪転しの段』で、虚無僧姿の加古川本蔵が登場するが、ここからは、腹のさぐりあい、本心を隠して、どうしても娘を許婚のもとに送りたい父の本心が見え隠れする。それは大星も同じ。どうせ生きては助からない人だからと、秘密の話を打ち明ける。師直に賄賂を贈り、媚びへつらうようにみえた本蔵は、実は、腹の据わった立派な武士だと、ここで明かされる。

『十段目 天河屋の段』大星が義平を試すのだが、その裏に哀しい夫婦わかれ、残された子どもの哀しみが胸を打つ。江戸時代にはこんな去り状一通で夫婦か別れさせられたのだろか。

『十一段目 花水橋引揚より』
『光明寺焼香の段』このふたつは完全に武士の世界観。若狭助が義士たちを労い、また、焼香場では、やはり大星がみなが納得するように仕切る。

通し狂言を全部見た感想としては、やはり、見所満載のお芝居だと思った。今では、歌舞伎のほうが自由度が高く、役者の格に合わせて、各段を繋いでいく。ひとつひとつが独立しているから、一場面、二場面でも十分に魅せられる。

文楽の場合は、太夫の力量に大きく左右される。それは、サッカーで一試合走り続けようなもの。汗はかかずとも、もともとの力のある人の段はすばらしい。近くでみているとよくわかる。

当時の幕府批判にならないように、鎌倉を舞台に、足利家を将軍にと替えているが、師直の紋が葵のご紋。これが徳川批判となるのは明々白々。第一部では新しい発見が多かったが、その分、太夫さんの語りに集中していなかったかもしれない。

新春に『加賀見山旧錦絵』をやるとのこと。松竹の新春歌舞伎とあわせて関西に来るか、悩ましい。

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第2部 午後4時開演
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
(八段目より十一段目まで)

八段目 道行旅路の嫁入
九段目  雪転しの段
山科閑居の段
十段目 天河屋の段
十一段目 花水橋引揚より
光明寺焼香の段

https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2019/11172.html

パリ、バスチーユで、「運命の力」をみる

一週間の休暇をとってパリに来ている。六月のパリは初めて。そして、オペラシーズンでもある。6/25に、オペラ・バスチーユで「運命の力」をみてきた。

事前に学習したのが、新演出のもの。ヨナス・カウフマンが長い髪をして、インディオの血を引いていることを強調していた。

今回のオペラ・バスチーユ版は、宗教色が強く反映されている演出。人の運命は、抗うことができない、神を信じていても救われることのない人間の業のようなものを感じた。

Leonoraは、Alvaroにとって、ピュアで、天使のような人。心から彼女を愛しているのに、身分が違うと父親は断固として二人の仲を認めない。二人が駆け落ちしようと考えているとき、父親に見つかって、逃げるときに刀が跳ねて父親がなくなってしまう。父が亡くなり、故意ではないのだが、殺したのは恋人だった。

こんなときに頼るのは神である。神のもとに参って祈りを捧げるしかない。それとて、何の解決にもならないのだ。Leonoraは、彼があんなにハンサムで勇敢でなかったら、わたしが彼をいまも愛していることはなく、苦しみもなかったのにという。離れて住んでいても、けして忘れることのない愛、それが彼女を苦しめる。

神は救ってはくれないのだ。最後に死を与えられて、初めて平和が訪れる。生きているうちには、けして救われることのない二人、それが逃れられない運命なのだ。

Alvaroもまた、彼女の声をけして忘れない。いまも心から愛している。そして、修道士となった自分に決闘をしかけてくる彼女の兄と戦って、死に至らしめる。人間の持つ業のようなものの、恐ろしさを教えてくれる。

最初、吊るされたキリスト像は、最後には横たわり、静かに眠る。神にすがることで、生きようとして、でも忘れられない愛がある。愛があるから苦しむのだ。それを神への愛に昇華できないふたり。

祈りは、最後になって初めて、死を迎えることで救われる。それしか救いがないという深い哀しみ。オーケストラもすばらしく、そして、主人公の三人も歌がうまくて、心地よく、音楽の中に浸っていた。本当は哀しみでいっぱいのはずなのに、最後の死が救いとなってよかったと思った。

宗教と人間の対峙を見事に表現していたと思う。

 

あらすじ

La Forza del destino
Opera Giuseppe Verdi
Opéra Bastille – from 06 June to 09 July 2019

3h50 with 2 intervals
Surtitle : French / English
Opening nith : 6 June 2019

About

In few words:

When the curtain rises, Don Alvaro is about to flee with Leonora.
Alas, the two lovers are caught in the act by Leonora’s father.
Alvaro throws his pistols to the ground but one of them goes off
and kills the father. The force of destiny is pitiless and laughs
at the fates of men. A grand fresco abounding in dramatic twists,
La Forza del destino is also a work deeply rooted in its own time.

In 1861, Verdi agreed to stand for parliament to pursue his political
ideals. However, the Risorgimento was floundering and the composer
fell prey to doubt. His dark melancholy suffuses “La Forza”.

The opera becomes a place where dreams are shattered against the wall
of reality but where a fragile song of hope of enrapturing beauty is to be heard.

Opening
First part 80 mn
Intermission 30 mn
Second part 60 mn
Intermission 20 mn
Third part 40 mn
End

La Forza del destino

Opera in four acts

Music : Giuseppe Verdi
Libretto :  Francesco Maria Piave
Conductor : Nicola Luisotti
Director : Jean-Claude Auvray
Set design :  Alain Chambon
Costume design :  Maria Chiara Donato
Lighting design : Laurent Castaingt
Choreography :   Terry John Bates
Collaboration to the choreograhy : Paolo Ferri
Chorus master : José Luis Basso

Original production by Jean-Claude Auvray, revival directed by Stephen Taylor
Orchestre et Chœurs de l’Opéra national de Paris
Coproduction avec le Gran Teatre del Liceu, Barcelone

Il Marchese di Calatrava :   Carlo Cigni
Donna Leonora :    Elena Stikhina
Don Carlo di Vargas :  Željko Lučić
Don Alvaro : Brian Jagde
Preziosilla :    Varduhi Abrahamyan
Padre Guardiano :  Rafal Siwek
Fra Melitone :  Gabriele Viviani
Curra : Majdouline Zerari
Mastro Trabuco :  Rodolphe Briand

びわ湖オペラ、ジークフリート

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びわ湖ホールで、4年間に渡り開催される〈ニーべルングの指環〉、今年は三年目で、ジークフリート。気づいたときには、チケットは完売で、今年は見られないのかと危ぶんだ。幸運なことに、再発売の情報をいただき、移動中の電車の中から、クレジット決済するという、荒技で、極上の席を入手。オペラは、どの席でみるのかも重要な要素なのだ。

今回は、京都から朝早く出て、義仲寺に立ち寄り、その後、びわ湖に面したドイツレストラン ヴュルツブルクでランチ。隣のテーブルの方たちも、オペラに向かうようで、音楽の話題で盛り上がっていた。ここから、びわ湖ホールまでは徒歩で25分。びわ湖を眺めながら、歩く。

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さて、前置きはこのくらいして、オペラの話に戻る。わたしが見たのは3月2日。指揮 沼尻竜典、演出 ミヒャエル・ハンペ、管弦楽 京都市交響楽団。

一年ぶりに同じ場所に集い、席に着く。席は本当にいい場所、よくこれが手に入ったと不思議に思う。

さすらい人になったヴォータンが、ミーメから三つの質問をされ、丁寧に答える。いつも、 こんなわかりきったことをなぜ繰り返すのかと、不思議だった。今回は回答のようなものが見えた。一年ぶりの 観客に、あるいは、初めて見るものに、物語の筋を教えているのだ。

ジークフリート役ができるテノールは、世界に10人といないらしい。とくに今回は、四時間以上も歌い続け、最後にブリュンヒルデとの愛の歌を奏でる。これができるものは、マラソンでゴールして、サッカーの試合に出るようなもの。

16歳のりりしい少年に見えなくてもいいのだ。歌がすばらしければ、すべてが許される。

TOKYO リングでみた、モーテルの映らなくなった砂色の画面をみつめているさすらい人、スーパーマンのTシャツをきて、ブレンダーにいれたノートゥングを鋳るジークフリート。今回はもっとまともな演出だ。実は、2017年の6月1日に、新国立劇場でジークフリートは見ている。そのときは、入手できたのがC席で、4階から見下ろすようにして、眺めたのだった。

見る席は大切だ。良い席でみると、話の筋がよくわかる。なんども見ているはずなのに、今回はたくさん発見があった。別の言い方をすれば、丁寧に作っているのだ。

恐れをしらない若者、若者を利用して、黄金を奪い、世界を支配しようとするもの、そして、それを狙うもう一人の男。 黄金を守るため、大蛇になって、番人となるもの。主神でありながら、さすらい人となって、世界を歩く人、叡智を集めたという女、いまは地下深く眠りについて、起こされたことを不満におもっている女。炎に囲まれた岩山で眠る女、彼女を目覚めさせるのは、あのとき助けた女が産んだ男の子。

ここで物語は十六年を経過している。神々は年を取らない。眠らされたブリュンヒルデはともかく、残りのものどもは、十六年もの長きにわたり、怒りをあるいは恐れをもち続けたというわけか。 あるいは神々にとって、年を取らないということは年月は一瞬なのか、ヴォータンは長年さすらい人として旅をしていたかのように見える。

大蛇となったファフナーは賢者のようにもみえるし、ユーモアもある。水を飲みにきたのだが、食べ物もいっしょに得ることができるのだ、と。 これまでそんなことに気づきもしなかった。

森の中、大蛇退治、そして、炎の山を登り、花嫁を発見する。十六歳の男の子の夢と冒険物語。その裏で、もう動き始めた事実をとめることもできない、ヴォータンの哀しみ。ミーメは、報われることなく、殺される。 赤子から育てた若者である、ジークフリートには罪の意識がない。単純で、荒削りな性格、ブリュンヒルデの叡智とは調和するのだろうか。

ジークフリートは、ミーメに育てられたから、老人を嫌っている。さすらい人も年老いているので、嫌いなのだ。あの槍をノートゥングでまっ二つに折り、あたらしい時代が始まることを予見している。おそれおののく、乙女のブリュンヒルデに、いまあなたが欲しいと、歌い続けるジークフリートは、それを手に入れたら、次のことを始めるのだという予感がする。

バランスよく、愛情に包まれという、育ちかたでない若者が、次の行動にでるとどうなるのか。神々の終焉まで、みなくてはとおもう。

ジークフリートも、正当流ですばらしい歌声だっだが、ヴォータンがいい。この人は、堂々としていて、主神としての威張りくさったところ、そして、虚勢も張る、
哀しみ、世の中に対する恐れ、そんなものが感じられた。ただ、堂々として立派なだけではだめなのだ。

最後にカーテンコールに並んだ人々をみて、今回はこれだけの人で演じているのかと驚く。

アルベリッヒ、ミーメ兄弟、ヴォータン、ファフナー、ジークフリート、ブリュンヒルデ、小鳥役、エルダ
八名で、こんなに濃厚な舞台になるのか。

舞台は映像も駆使して、立体感とシャープさを出しているが、そこに集う人々がみな、胸に一物あり、恐れをしらないのは ジークフリートばかりだ。

帰りの電車の中で、一両のほとんどがびわ湖ホールからの帰り。オペラについての話が弾んで聞こえてくる。 これは地方だからのこと、上野の帰りに山手線のなかで、オペラの話をするものは皆無だ。

何度も見ているオペラでも、発見はたくさんある。今回のは、とくに丁寧にわかりやすく、つまり、奇をてらうことがなかったと思った。

鎧や兜を外された乙女のブリュンヒルデは可憐でよかった、と思っていたら、

いろいろと前置きはいうのでしょうが、最後には彼の胸に飛び込んでいくのでしょうと、帰りの信号待ちで、年配のご婦人たちが語るのがいい。

もちろん、びわ湖オペラを見るために来ているのだが、一日オペラに浸っていられたのは旅先の非日常だから。 パリでは、夜七時から始まる。オペラは夜の楽しみ。七時半に終わってはフランス人は寂しいだろうと思ったりする。

来年は13時開演だそうだ。二回とも見たい気がする。

沼尻指揮による、演奏は完璧、日本にいることを忘れてしまうほど。
びわ湖オペラは貴重な体験である。

□3月2日公演キャスト
ジークフリート   クリスティアン・フランツ
ミーメ     トルステン・ホフマン
さすらい人   青山 貴
アルベリヒ   町 英和
ファフナー   伊藤貴之
エルダ     竹本節子
ブリュンヒルデ 池田香織
森の小鳥    吉川日奈子

能楽五番立を見てきました

佐渡に通うようになって、今年で15年目、よくお聞きするのが、昔は朝から能楽五番をやっていたという古老の思い出。神社の参道には屋台の店も並び、ピーヒョロという笛の音も聞こえて、祭りだったといいます。一度はそれを見てみたいと、思っていました。

ごばん‐だて【五番立】
〘名〙 能の正式上演形式の一つ。一日の番組を脇能物(神能)、修羅物、鬘(かずら)物(女能)、雑物(物狂能など)、切能物(鬼能)の順に上演すること。また、その能番組。通常、脇能物の前に「翁」が、能と能との間に狂言が演じられる。近世の江戸式楽の頃から明治、大正頃まで行なわれたが、現在では行なわれることがすくなくなった。
《出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について》

この五番立の演能方式は,年一回能楽協会主催の「式能」という催しで行なわれます。それを知ったのも偶然でした。昨年の11月の国立能楽堂で、年配の女性二人が、パンフレットを手にして、この金額で一日能楽を楽しめるのね、と話していたのを気に留めて、そのパンフレットを持ち帰り、ゆっくりと読み直しました。

発売日の12/14にプレイガイドに電話して、申込み。振込用紙で振り込みます。第一部、第二部は、通し券で同じ席になり、脇正面の前から二列目が取れました。

能楽鑑賞でこんなにわくわくするのも、初めてのことです。
当日は、朝、9時半から、夜の7時半まで、10時間も、国立能楽堂に詰めています。さらに、映画鑑賞とは違い、 (かつて、ヴェルディの生涯という映画を九時間くらいみたことがあります)  前から二列目の席で、地謡や、ワキの方からもよく見えて、とても眠ることはできません。番組も各流派が競って演じるのですから、見ている側も真剣です。

第一部では、すでに二時間を超えたので、狂言の前に抜け出して、食堂で羽衣弁当をいただきました。長期戦になるので、しっかり食事するのも大切と思ったからです。休憩時間は短縮されて、お弁当もすぐに売り切れになってしまいました。

演ずる方が、最高のものを提供しようと表現するのに、見ている側も付いていかなくてなりません。番組については、予習もし、印刷物も持参していました。能楽のレパートリが広がれば、前回見たものと重ね合わせて、あるいは、想像を膨らませて、楽しむことができます。能楽の楽しみとしては、中級編だと思いました。

翁は、昨年の九月に、国立能楽堂 開場35周年記念公演で拝見していました。千歳、翁、三番三の舞によって天下泰平・国土安穏を願い、舞台は祝言の雰囲気に満ち溢れます。
翁     観世清和、三番叟 野村萬斎という豪華な舞台です。二度目なので、心の準備ができていましたが、舞台で面を付けたりとドキドキさせられます。

能  金春流 「生田」 は、あの敦盛の遺児が、亡霊となった父と対面するというもの。子方が気品があって、堂々としていました。これからが楽しみですね。敦盛は、修羅物らしく、武者姿、初めて見た能楽です。

今回の五番を通して、いちばん心打たれたのは、最後の能  金剛流 「綾鼓」。 シテは、種田道一さん、この方は、先日の文化庁文化交流使フォーラム2019」の開催-日本の心を世界に伝える-(第16回文化庁「文化交流使」活動報告会)でお話を聞いたばかりでした。さすがに、アメリカ、フランス、スペイン、イタリア、ハンガリーと、二ヶ月間、能楽という文化で交流を続けた経験が光っていました。

綾鼓は、なんどが見たことがありますが、このような哀しみ、そして、怒りを表現できた方はいなかったと思います。死を意識したような老人が、身分違いの女御に恋をして、そして、底意地の悪い仕打ちをされ、死んだ後、怨霊となって、女御を苦しめる。その激しさに、人間の哀しみが漂っていて、すばらしかったです。

本当に非日常の世界にトリップしている感覚で、能楽五番立てを見た後は、心地よい疲労感と、充足感に満たされていました。来年も体力の続く限りまた、みたいと思いました。

『翁』に始まり一日を通して上演される由緒正しい能楽公演


「第55回式能」より「翁」 観世清和
©公益社団法人能楽協会

式能は江戸式楽の伝統を受け継ぐ由緒正しい方式による能楽公演で、公益社団法人能楽協会に所属するシテ方・狂言方全流儀が揃い、当代一流の能楽師が一堂に会する年に一度の貴重な舞台です。番組形式は”翁付五番立て”として、能の間に狂言を一番ずつ計四番を組み入れた構成となっています。最初に上演される『翁』は、各流儀の代表となる演者が毎年順番で演じることになっており、今年度はシテ方観世流宗家・観世清和が勤めます。

第一部 演目詳細
能   観世流 「翁」  翁  観世清和
三番叟 野村萬斎
※11:10頃
「嵐山 白頭」  シテ   観世恭秀

※12:25頃
狂言  和泉流 「末広かり」   シテ 野村万作

-休憩30分-

※13:25頃
能   金春流 「生田」     シテ 髙橋忍

※14:15頃
狂言  大蔵流 「鬼の継子」   シテ 山本則俊

※終演 14:35頃

第二部 演目詳細
能   宝生流 「祇王」  シテ 大坪喜美雄

※16:00頃
狂言  和泉流 「謀生種」  シテ 野村萬

※16:20頃
能   喜多流 「枕慈童」  シテ 大村定

-休憩25分-

※17:45頃
狂言  大蔵流 「長光」   シテ 茂山千五郎

※18:05頃
能  金剛流 「綾鼓」   シテ 種田道一

※終演 19:25頃

 

みやびとひかり能乃会に行ってきました

12/23 祝日、京都観世会館で行われた、『みやびとひかり能乃会』。昨年に引き続き、今年も参加できました。知り合いの橋本本家の会。今年で34回目だとそうです。
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昨年、烏帽子折で、子方を卒業された充基さんが、今年は花月のシテ方。見ているこちらも身内のように気になって、台詞がうまく言えるか、舞は大丈夫かと見ておりましたが、無事勤め上げてよかったです。

京都ならではの会で、謡本片手に年配の方々もたの楽しんでおられました。花月のあとは、天鼓。こちらはご当主の雅夫さん、光史さん父子が前シテ、後シテをつとめあげられ、充実の舞台でした。

王伯役の雅夫さんは、子を失った哀しみと老いた身の上を上手に表現されていて,天鼓役の光史さんは、帝から許されて鼓を打つ喜びを全身で表していて、力強い演技です。能も静かなだけでなく、喜びの表現は飛んだり跳ねたりします。

今回のテーマは、別れ別れになった父と子の再会、あるいは供養。母が子どもを捜して、物狂いになるのは能楽では多く見られますが、花月のように父が僧侶になるのは珍しいこと。佐渡にいる順徳さんと隠岐にいる後鳥羽さんを思い出しました。このふたりの新作能を作りたいです。

終わると外は真っ暗。いつものようにキッシュと サヴァランを買って戻りました。自主講演なので、プログラムに解説まであって、心遣いを感じます。来年もぜひ、この続きを見ようと決めました。

京都南座の顔見世に行ってきました

毎年この時期に出かける、京都南座の顔見世興行。昨年は改装中で期間も短く、見逃しました。今年は二等席を奮発して、三階の最前列で鑑賞しました。

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まず着いた日に、JR京都駅の和久傳でお昼、ホテルで一休みして夜の部に、翌日は、早めに起きて、錦でおばんざいを調達。それをお弁当がわりにでかけました。

京都の顔見世は演目もたっぷり。休憩時間も演目ごとにあるだけで、凝縮されています。昼の部の寺子屋、芝翫は江戸風、武部源蔵役の愛之助以下は上方風と違います。亡くなった子どもの回向に焚くお香が舞台から流れてきました。松栄堂さんでしょうか。

鳥辺山心中で可憐な孝太郎と、無骨だが、心の優しい梅玉の道行きでしっぽりとしたところに、仁左衛門とじいさん、ばあさん。時蔵とふたりの甘える姿、幸せな二人がいっぺんして、年月にさらされて、37年ぶりに再会する。個人的な感想では、二人とも年を取りすぎている、もう少し若さが残っていてもいいのではないかと思いますが、残酷な時間の流れをあらわしているのでしょう。敵役の芝翫がねちねちといじめて、そうでないと、物語が成り立ちません。何度見てもはらはらどきどきします。

昼の部最後が新口村。藤十郎一家の上方芝居。舞台の上は雪景色。こちらの道行きは雪の中を死に向かってひたすら進む。その中に親子の情愛が見え隠れします。扇雀の梅川が可憐で、涙をそそります。これだけの演目は一日分。東京なら、休憩を挟んで一日の舞台になります。よいお席でみたので、役者さんの心の動きまでわかるような気がしました。

昼の部
第一、
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

寺子屋
松王丸    芝翫
武部源蔵   愛之助
戸浪     扇雀
涎くり与太郎 中村福之助
春藤玄蕃   亀鶴
千代     魁春
御台園生の前 秀太郎

第二、
鳥辺山心中(とりべやましんじゅう)岡本綺堂 作

菊地半九郎     梅玉
若松屋遊女お染   孝太郎
坂田源三郎     右團次
若党八介      寿治郎
お染父与兵衛    市蔵
若松屋遊女お花   魁春
坂田市之助     左團次

第三、
ぢいさんばあさん  森 鷗外 原作  宇野信夫 作・演出

美濃部伊織    仁左衛門
下嶋甚右衛門   芝翫
宮重久弥     愛之助
同輩の侍     市蔵
同        亀鶴
同        松之助
宮重久右衛門   高麗蔵
久弥妻きく    孝太郎
伊織妻るん    時蔵

第四、
恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)
新口村

亀屋忠兵衛    藤十郎
傾城梅川     扇雀
忠三郎女房    吉弥
父孫右衛門    鴈治郎

夜の部は、いきなり義経千本桜で始まります。仁左衛門のいがみの権太は、ワルですが、可愛らしさがあります。若葉の内侍一向に親切にすると見せかけて、わざと間違えた荷物で強請る、この人がやると、お金を取られても仕方がないと思えるから不思議。お里役の扇雀のくどき、自分で布団を敷いて寝ましょうと誘うのが可笑しい。町娘が結婚できる相手でないことを分からずにいるのが哀しい。弥左衛門訳の左團次が、子どもを殺して後悔する父親をたくみに演じます。父子の別れがひとつのテーマでした。

童子役の鴈治郎の可愛いこと、五月人形のようです。みていてほっとします。

愛之助の弁天小僧菊之助は、菊五郎の演ずる型とは少し違い、娘役なのに、顔は上げて堂々としています。男にばれたときもまた違う、上方で演ずることの珍しい題材のような気がします。南郷力丸役の右團次は、お嬢様をたてて安定した演技。

これでお終いかと思うと、三社祭が残っていました。鷹之資は、富十郎の忘れ形見、踊りのうまさは群を抜いています。これからが楽しみですね。

二日間にわたっての歌舞伎見物でしたが、本当にたっぷりで堪能しました。来年もよいお席で見ようと思います。ロビーにも椅子が多く、お弁当もゆったりと食べられました。夜の部は、タクシーが拾えてホテルにすぐに戻れました。京都に泊まっているからの贅沢ですね。

夜の部
第一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)

木の実
小金吾討死
すし屋

いがみの権太      仁左衛門
弥助実は三位中将維盛  時蔵
お里          扇雀
若葉の内侍       孝太郎
主馬小金吾       千之助
猪熊大之進       松之助
弥左衛門女房お米    吉弥
権太女房小せん     秀太郎
鮓屋弥左衛門      左團次
梶原平三景時      梅玉

第二、面かぶり(めんかぶり)
童子   鴈治郎

第三、
弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)河竹黙阿弥 作

浜松屋見世先より
稲瀬川勢揃いまで

弁天小僧菊之助    愛之助
日本駄右衛門     芝翫
南郷力丸       右團次
鳶頭清次       亀鶴
浜松屋伜宗之助    中村福之助
浜松屋幸兵衛     市蔵
赤星十三郎      孝太郎
忠信利平       鴈治郎

第四、
三社祭(さんじゃまつり)

悪玉    鷹之資
善玉    千之助

以上

国立能楽堂 9月開場35周年記念公演

国立能楽堂開場35周年記念公演ということで、出かけてきました。チケットはわずか7分で完売。プラチナチケットになりました。

翁(おきな)は、能でも、狂言でもない別格に扱われる祝言曲。 最初に翁を演じる正式な番組立て翁付といい、正月初会や祝賀能などに演じられる。翁・千歳・三番叟の3人の歌舞からなり、役は白色尉、三番叟役は黒色尉という面をつける。

地謡は橋掛かりに座ります。面箱を持った千歳が登場し、中から表を出して着けて舞います。初めてみた演目で、古式豊かな風情を感じました。

能、井筒は何度かみていますが、今回は宗家のシテ。在原業平の妻である、紀有恒の娘が昔を思い出し舞い、そして、業平のかたみの冠をつけた、水に映る自分の姿をみて、夫のことを思い出すというお話。哀しさや時の移り変わりまで感じられて、夫婦の情愛にジーンとなりました。

《開場35周年記念公演》

翁(おきな)  金剛 永謹(金剛流)
松竹風流(まつたけのふりゅう) 大藏 彌太郎(大蔵流)

能  井筒(いづつ) 物著(ものぎ)  観世 清和(観世流)

能  乱(みだれ) 置壺(おきつぼ)   片山九郎右衛門(観世流)