ネットの良さは、速さかもしれない

ここに二枚のチケットがある。楽しみにしていたのに、仕事や出張で、参加することのできないレアモノ。 昔なら、町のチケットショップに立ち寄り、不確かなまま、預けるしかなかった。

そ れが今では、mixiなどのSNSのコミュニティサイトに告知し、マイミクに一斉メイルを流すだけで、すぐに連絡が入る。だいたい一時間もあれば、行き先 は決まる。わたし自身も、そうやって期間限定の習い事に参加したり、あるいは招待券をいただいて、芝居をみることができた。

知合いはゴルフコンペにSNSがいちばん便利だという。ゴルフ場の仮予約から、前日までの連絡に使っている。一斉メイルで当日の朝、乗り合い便の調整もできるし、幹事の負担も違うという。

わたしも一月に一度の会合にSNSのコミュニティを活用している。ある程度の人数の全体動向を把握しつつ、自分の本来の仕事をこなすには、ネットはありがたい。

 

カナダの話だが、知合いのご夫婦が家を買う時、不動産屋とメイルのやりとりを頻繁にして、条件のよい家を押さえることができた。この場合、複数のコンペが いたのだが、みな連絡手段が電話しかなく、メイルを使って、即回答できたのは、このご夫婦だけだったという。インターネットがそんなに盛んになる前の話 だ。

ネットの世界では、速さとそして距離がシームレスに繋がる。フィンランドに住む知合いと、EURO2008について語っている。開催国 の一つであるフィンランドでは、かなりの盛り上がり方で、毎日現地時間で夜9時45分から夜中まで、観戦しているとのこと。白夜だからテレビ見終わっても 外は明るい(日本の夕方6、7時頃の明るさ)。友人は、寝不足で疲れ気味だと言っていた。

その一方で、ネットの世界は怖いものと敬遠して、近寄らない人もいるのだ。かなり知的な人が、真顔で、ネットは知らないから使っていない、と言われて驚いた。

同じ日本の中に、断層ができている。そして、この亀裂は解消できるのだろうか。

 

人的ネットワークに、扉をたてるな

リアルではなく、ネットの社会で知合う人というのは、大別して次の三つに分けられる

1. 善意の固まりのような人
知合いになると、自分の持っている人的資源をフル活用して、わからないことを教えてくれる

2. 自分の利益になりそうな人には付き合う人
相手の仕事、役職、年齢などを考慮して、損得を考えて人と交流する

3. 自分の価値観に合う人とだけ、閉鎖的に付き合う
わたしはこういう人は嫌いです、と宣言して、仲間とだけ交流する

幸 いにして,今わたしのまわりにいるのは 1番の人が大部分だ。ネットの社会というのは性善説で考えると、そういう人が集まってくるようだ。2番、3番の人 は、うがったいい方をすれば、人生経験が足りない。才能があるにせよ、ないにせよ、人というのはどこかしらよいものを持っている。それを最初から扉を立て てしまうのは、もったいない。

最後は自分の勘で判断すればいいのだから、オープンドアの精神で、来るものを受け入れよう。

日頃は、ちょっと煩わしいと思っている人でも、ある日、突然うれしい知らせを持ってくるものだから。そういう意外性がネットの面白さでもあるのだ。

 

東京という都市の面白さ

数日間、東京を離れて戻ってくると、すぐにイベントが待っている。昨日は九段下のイタリア文化会館で、オペラ、チェネレントラのレクッチャーとアリアを楽しむ夕べに参加した。そして、本日は千駄ヶ谷の国立能楽堂で、ハムレットの狂言を見る。

これ以外にも、歌舞伎や演劇、音楽会など、東京には芸術の富が集まっているような気がする。昔は『ぴあ』 を丹念に読んで行きたいイベントを探したが、今はネットの検索ですぐに見つかる。あるいはSNSやクローズドのユーザー会のMLでも情報は流れてくる。

後は、参加するか、そのままにするかの違いだけだ。東京という町に住んで、狭い住居や高い物価に不満を持っているとしたら、そのよい面にも目を向けてみよう。物事には必ず、裏と表があるのだ。

高 額なチケットを求めなくても、無料の試写会や試演会は、探せば見つかる。そして、新しいことに挑戦して、新しいものを柔軟に取り入れて、明日への活力とし よう。東京は江戸と呼ばれたときから、再生と建設の町だった。だから、そこに住まいする人々は、新しいことを始めるのに抵抗がないはず。

何か一つテーマを決めて、それを極めるのも面白いかもしれない。毎月、映画を十本見るとか、歌舞伎座の三階席に通うとか、あるいは、能楽を極める、ジャズを楽しむなどなど。

初めて出会ったことを、知識の獲得にまで繋げることができるか

新しいことを始めようとしたら、日々が初めてのこととの出会いである。マニュアルにも書いていないし、先達たちも知らないことばかりだ。

だが、慌てて方向を見失ってはいけない。どんなことにも、これまでの経験や対処方法が当てはまることがあるのだ。まず、深呼吸して、腹を据えて、廻りを眺めて見よう。

いつから始まったのか、どこが源流なのか、トレンドの波というのは、一日で新しい世界を作っているから、それに飲み干されないようにしよう。静かに、しなやかに、着実に成果を出すには、

(1) 現状分析、何が起きているのか

(2) 仮説を立てる、受益者はだれなのか、お金の流れはどうなっているのかなど

(3) 実施する、仮説に基づき行動を起こす。判断力がためさせるときだ

(4) 検証する、実施した時期は適切だったか、判断は正しかったかなど

これらの一連の動きを通して、基本ルールのようなものが見つかれば幸いである。同じようなことが起きたとき、さらに加速して対応できるはず。

出会ったことを元に知識の獲得レベルまでもちあげるのは、高度な技術はいらない。素直な心に感じることを、誠実に実行すればいい。知識というのは、固定ではなく、どんどん進化させることができるのだから、怖れず、仮説を立てて実施してみよう。

単純作業といわれることからでも、知識の獲得はできるのだ。それにどう立ち向かうかの意識による、と言われている。

自分で制限をかけていないか

昔は、ある年齢になったら何もできないと本気で考えていた。たとえば結婚する時期、習い事をする年、ひとりで海外にでかけること、勉強することなどなど。

でも、冷静になって考えてみれば、いつだってどんなときだって、挑戦できるのだ。

渡辺千賀さんがいわれていたように、今できないと思うことは、5年後はさらに困難になる。だから、思い立った今、挑戦すべきなのだ。
そう思うと、アンテナを張っているので、楽しいことが次々と舞い込んでくる。着物の着付けに続き、日本舞踊の体験コースに通いはじめた。

源氏物語の講座が始まった。京都の能楽師の繋がりで、松濤の観世能楽堂に行く。佐渡では能楽鑑賞の旅をする。こう書くと毎日遊んで暮らしているようだが、合間には仕事をしている。

会社員時代と変わったことは、何でもやってみようという強い意志を持つこと。これが経営者の辛さでもあり、愉しみでもある。好きなことをやる一方で、収支も考えている。

制限を忘れてみよう、すると見えてくるものがある。

切羽詰まらないと、やる気のでないのはなぜ

締切の長い仕事だと、まだ来週だからと甘えて、とりあえず急ぎの案件を処理していく。そして、二日くらい前になると、やっとやる気がでてくるのだ。

始めてしまえば、それなりに充実して、楽しい。いつも、バタバタしながらもなんとか、当日の朝には完成している。本当は,もう一日検証に使いたい。なぜ、時間のあるときは、それを忘れたふりをして過ごすのか。

やる気になれば、容易くできるのに、そこに至るまでが時間がかかる。ライフハックの方法もいくつか試みたのだが、結局のところ、休息をしっかりとることに限るとの、結論になった。

やる気になったときに、体調をくずしていてはまずいので、たっぷりと睡眠を取り、美味しいものも食べて栄養を補給する。

そして、オンオフの切り替えも忘れずに。楽しみが待っていると、なんでも片付くような気がする。

2008 FIFA アジア予選を観戦してきました

2008.6.2 横浜の日産スタジアムで開催された、ワールドカッブアジア三次予選を 見に行ってきました。Jリーグの試合にもよく行きますが、国際マッチは緊張が違います。まず、東横線の菊名の駅には青いユニホームをきたサポーターたちが 集まっていて、駅係員も『本日はワールドカップ予選がありますので、混雑が予想されます』と何度もアナウンスし、本当に来た電車は満員。

新横浜駅からスタジアムまでは歩いて15分くらい。道がわからなくても、みんなに付いていけば大丈夫。今回は招待席だったので、カテゴリー1の席なのですが,もう隣は貴賓席で、なんとトルシエも座っていました。運良く、屋根があって、最後までゆっくりと過ごせました。

ご存知のように試合は、圧倒的に日本側が攻撃して進み、三対ゼロでオマーンに勝利しました。こういう試合は、見ていても愉しいし、安心できます。中村俊輔の珍しい右キックのゴールも見られたし、最初の中沢佑二のゴールもよくわからないまま、みんなで騒いでいました。

天気は肌寒く、途中からは雨も降り出し、オマーンの選手にはかなり辛かったと思います。ベンチで待つ選手たちも前半は座ったままで、元気に動き回っている日本選手たちと対照的でした。服装も長袖のジャージの上下です、きっと予想外の寒さだったのでしょう。

最終予選は6/22に埼玉スタジアム。 日曜日なので、ぜひ、観戦したいと思っています。

新横浜からは新幹線で品川に出て、そこから乗り換えて千葉まで帰ります。地元駅にも同じような格好をした人が五六人いましたよ。