初春文楽公演、加賀見山旧錦絵を見てきました

大阪の文楽劇場には、不思議な魅力があって、11月に忠臣蔵を完結したのに、また、行きたくなります。加賀見山は、前々からみたいと思っていたので、大阪行きの初日をこれにしました。

歌舞伎ではなんども見た題材を、文楽で改めてみると、人物の心根がよくわかります。尾上は、町人の出。それも藩の御用金を一切扱っている商人の娘。年季奉公で三年勤めて、あと二年という中老。岩藤より、格下です。岩藤の執拗ないじめ方、ねちねちと言葉尻を捕らえて、ただ耐えていると、草履に泥や埃がついたから、拭けといい、最後には草履で折檻します。

大奥では、このようなことが日常、起きていたのかもしれないと思わせるところが巧みです。宿下がりの女中たちが、人形芝居をみて、涙していたのかもしれません。そんな空間と時間の広がりが、感じられる作品でした。

江戸の武家奉公している女たちと、人形が重なります。この体験が大阪での文楽の楽しみ。太夫たちの熱演も伝わってきます。人形なのに、大掛かりな立ち回りがあり、お初は、いちど胸を打たれて意識を失い、あわやと、思うと気を取り直し、主人尾上の仇を討つことができました。まさに女忠臣蔵です。

二代目尾上を拝命し、主人は亡くなりしが、その名は残せたと満足気。設定では、まだ少女のはずなのに、武家の出なので、立ち回りもすばらしいのです。

剣術の稽古も大切、長刀くらい使えないと、と奥女中たちは思って戻ったのでしょうか。どこの藩にも、嫌な老女たちがいたのだと思います。武家奉公して、部屋子となった女たちには、殿様の目に留まるという出世があります。家康の妻たちにも、部屋子からお取立てされた、お六の方がいました。

そんな世界をふと想像してみます。武士の世界とは違った、奥向きの話。

隣の席の女性が、舞台よりも太夫さんをみていて盛んに拍手を送っていました。そんな鑑賞もあるのかもしれません。心満たされて戻ってきました。次は四月でしょうか。