パリの日曜日、バレー鑑賞

パリ在住のブログ仲間の方から、ロシア国立オペラのバレーの公演が日曜日で最終ということを教わりました。チケットもまだ手に入るからと薦められ、見に行くことができました。

チケットの購入はFNACTICKETに登録して、webで購入します。チケットは自分で印刷するか、発券するかを選びます。発券できるのは、フランス、スイス、の一部の地域。パリだと日曜日もやっているシャンゼリゼのFNACが便利です。

あとはFNACの営業時間に発券機に番号をいれ、自分のクレジットカードの下けたも入れるとチケットが表示され、それを発券します。web購入の際に出てきた番号をしっかりとメモしておく必要があります。これでサッカーのチケットも発券できるのです。

ピカソ美術館からst Paul駅に出て、一番線でそのまま、Franklin Roosevelt駅まで向かい、出たら、シャンゼリゼのほうにもどるとすぐにFNACがあります。デパートの地下一階になっていて、ヨドバシカメラのような場所です。IMG_2711 IMG_2710

チケットの発券機。備忘のために載せています。

見たのはこちら。

 

LA BAYADERE。インドの物語です。愛し合うふたりが国王とその娘によって引き裂かれ、恋人を奪われた娘は、悲しみと毒蛇によって亡くなります。残された男と国王の娘は結婚しようとしますが、神の怒りに触れて寺院が崩壊し全員死亡してしまいます。

場所は、Porte Maillot駅直結の施設、PALAIS DES CONGRES (PARIS 17)です。長年パリを訪れていますが、こちらの劇場もそして、メトロの駅も初めて、無事にいけるかどきどきでした。

バレーは歌舞伎やオペラと違い、一言も会話はありません。だから、各自の表情や仕種を感じ取り、舞台進行に合わせて楽しむために、席は前のほうがいいのです。物語は、美しく、優美で叙情的。はじめて見ても楽しめました。一番よい席で82ユーロでした。

今回、オペラ劇場で二公演、そして、バレーをみて、それぞれの客層がこんなに違うのだと、逆にびっくりしました。オペラは夜の7時始まりで、終演が11時半という、時間設定。仕事帰りの人というよりも、タクシーや自家用車で帰れる層です。日本では中島みゆきが夜会を夜八時からやっていますが、あれも特殊。次の日の仕事にも関わるし、七時くらいに始めて十時には終わって欲しいと思いました。

近世畸人伝の面白さ

2004年4月から、日本橋人形町で、江戸のくずし字講座を主宰している。「近世畸人伝」を題材に取り上げたのは、2008年の4月。今年で7年目になる。

「近世畸人伝」ということばは、馴染みがないのだが、江戸中期に実際にいた人々のエピソードをまとめたもの。畸人=奇人で、ユニークな生き方をした人ばかりを紹介している。

作者の伴蒿蹊(ばん・こうけい)は、有名な国学者で、武士・儒学者・文学者から遊女・乞食にいた る、実に様々な階層や職業の奇人の伝記を記している。それもこだわりがあって、儒学者は漢文調、遊女は柔らかな和文と、登場する人により、文体も使い分けている。

書籍としての「近世畸人伝」も電子版もあるが、これをさらりと読んでも、それほど感激はない。1つ1つの江戸のくずし字を読み解き、文学的バックグラウンドのある講師とともに鑑賞すると、そのよさが際立ってくる。こんな面白い内容は初めて、とおどろかれる受講者も多い。江戸時代には本当に面白い、ユニークなひとがいたのだ、と今さらながらに驚かされる。

春期講座は第一回は始まっているが、どの会からも参加できる。初回は無料の見学コースがあるので、ご興味のある方は、ぜひ、遊びに来てください。

この本、江戸の版本を所有している。何年か前、暮れに京都に出かけた時、寺町通の書店で、ガラスケースに並んでいるのを発見、そのまま求めて連れて帰ってきた。京で出版された本を、京都で手に入れる。なんの不思議もないことなのだが、時間の流れが経っているのがおかしい。手放されたのはお寺さんとのことだったが、当時の教養本として、所蔵していたのではないか。現在、こちらの版本をテキストに使って、みなさまにコピーしたものをお渡ししている。

今年は、たくさんセミナを企画中、江戸のくずし字講座

仕事の宣伝を少し。昨年は江戸のくずし字講座を新しく開催して、他のことができませんでした。社会人向けの夜間講座を、一月に一回から楽しめるようにと、講師の先生方とも話し合って、工夫しました。

途中からでも参加できる形式で、初めてのひとにも楽しんでもらえるように、浮世草子で、西鶴もの。そして、黄表紙は山東京伝の新版替道中助六。従来の近世畸人伝も、ダブル講師なので、どちらか一回だけという選択もできます。

忙しい人も一月に一度なら、参加できるし、それでも継続は力なりで,一年もするとかなり読めるようになります。これは意識の問題なのですね。意識すると、見えなかったものが見えてきます。

江戸のくずし字といっても、わずか140年前には、日常的に使われていたもの。明治のひとは、みな読めました。くずし字が読めることと、江戸の暮しについて、理解することは、両方とも大切。知識というのは、平面より、立体にして覚えてしまうことです。

慣れない人には、敷居が高いかもれませんが、無料の見学コースでぜひお楽しみいただきたいと思います。

浮世絵師 溪斎英泉に行ってきました

知合いからいただいた招待券で、千葉市美術館で開催中の「浮世絵師 溪斎英泉」展に行ってきました。

浮世絵だし、文字も少ないだろうと気軽に考えていたら、大きな誤算でした。二時間かけても、まだ半分くらいしか見ていません。江戸のくずし字講座を主宰しているので、本当にタイムリーな企画。浮世草子では、まさに遊里の話だし、黄表紙も、助六が東海道を旅するのです。

江戸時代、遊郭というのは、単に女と遊ぶところではなく、そこから文化や流行が生まれ、江戸の暮しを遊郭なしに語れないと、先週習ったばかりでした。浮世絵なので、文字が少し出てきます。歌もある。それをなんとか判読しようとすると,膨大な時間がかかってしまいます。解説のあるものは、それと元の字を較べてみる。いままでの鑑賞とは、ひと味違っています。

「浮世絵師 溪斎英泉」というのも馴染みがなかったのですが、人物像はかなり書いています。美人画の他に、東海道の旅姿もあり、多彩な人だということがよくわかりました。

中に「美艶仙女香」という文字が出てきて、気になって探してみたら、国会図書館にデジタルデータがありました。当世好物八契・仇競今様姿 つく田嶋の晴隅田堤の桜両国橋夜景など、いろいろ見つかりました。

充実した展示に心地よく疲労して、戻ってきました。図録の代わりに、本も頼んでしまいました。

赤穂浪士、小野寺秀和とその妻、を読んでみました

元禄15年12月14日は、赤穂浪士が、本所にある吉良上野介宅に討ち入り、敵討ちを果たした日。毎年12月14日には、泉岳寺でも赤穂義士祭が開催される。

その義士のひとりである小野寺秀和と、その妻の物語を紹介したいと思う。
小野寺十内秀和と、その妻はことに睦まじかったことで有名である。それは秀和が妻に送った数通の文からもわかる。

討ち入り二日前、極月十二日(12月12日)に妻に送った手紙でも、その人柄は偲ばれる。

「万一如何様の難儀がかかったとしても、見苦しく取り乱したりしないように。あなたを信頼しているから、心安く思っている」そして、このような状況でも、夫婦して歌のやり取りをしているのである。

「こ ちらが作った逢坂の歌、哀れと思うのはさすがによく分かっているではないか。そこもとの歌、さてさて感じ入り候。涙せきあえず、人の見る目をおもひ、まこ とに涙をのむ心持ちにて、いくどか吟じ候。これにつきても、必ず、必ず、歌を捨てないでほしい(ひとりになっても、才能があるのだから、続けてほしい)」 京都時代、二人ともに、歌人の金勝慶安に歌を習っていた。

討ち入り前の多忙な時、こんなふうに妻を思いやった手紙を書いている武士がいる。秀和は、和歌、古典にも明るい人だった。逆のいい方をすれば、綱吉の時代は、もう戦いなど忘れ去れていた。だから、秀和のような文人たちが、闘ったのがあの討ち入りである。

討ち入りのとき、秀和は59歳。死を覚悟していたはずだ。その後、2月3日に妻に送った手紙には
「そもじも安穏にもあるまじきか。かねて覚悟のこと、取り乱し給ふまじきと心安く覚え候」と書かれている。どんな状況にあっても、妻に優しい心遣いのできる男だった。

この妻は夫が切腹した後、数日間、食事をとらず絶食して自害した。二人で過ごした年月を思い計ったのであろうか。
(近世畸人伝より)

奥の細道を、芭蕉の自筆原稿で読んでみた

奥の細道は、松尾芭蕉の紀行文の最高峰として、その名を知らない人はいないだろう。これにちなんで、小説もいくつか書かれているし、実際に、その旅程を旅するツアーもある。

カルチャーセンターでも、取り上げられることが多く、よく知られた、よく読まれた文章、のはずだった。

それが、江戸の古文書講座で、芭蕉が自ら書いた原稿をともに、丁寧に読み解くことを始めたら、世界が変わって見えた。この紀行文、うがったいい方をすれば、活字で読む物ではなく、江戸のくずし字を声を出して読む本なのだ。

旅の途中に出てくる地名も、その頁ごとに微妙に違っている。活字にすると、現代表記に基づくものが、その当時の呼び名で書かれているのは新鮮だ。

参加されている受講生の方からも、感に堪えたように、こんなコメントをいただいた。「これは活字に読んではいけない本ですね。江戸のくずし字を声を出して読んでいると、行間から情緒や情景が浮かんできます。」

それはまた、失われてしまった日本の風景の原体験なのかもしれない。芭蕉はこの旅を終えて、三年くらいしてから初めて版本として、出版したが、出てくる地名、歌枕、伝承の物語などをチェックしていたのではないか。平安の歌人たちが歌に詠む安宅の関、安宅山など、文字をみるだけで、物語が浮かんでくる。

昔を知ることは、今に生きるための知恵のような気がしている。

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昔コピーした数ページから、元の本を探し出す

うちのお客様のお話である。以前、図書館で借りた本の数ページをコピーして大切に保管、していたが、その題名やいつ借りたのかをすっかり忘れてしまった。この数ページを元にオリジナルの書籍を見つけ出すことはできないだろうか、と相談を受けた。

内容は、平安中期の歌人、藤原実方(ふじわら さねかた)朝臣の「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを」から作者の解説、歌の解説が続くというもの。

内 容が限定されているので、知人の文学部教授に確認してもらった。すると、わずか数分間で、「百人一首一夕話」ではないかと、回答をもらう。さすが、専門家 は違う。百人一首の作者の詳しい解説と、歌の解釈が分かりやすく載っているというもので、岩波から出ているはすだという。

さっそく丸善本店に出向いて、調べてもらった。ここでは、題名さえ分かれば、 オンライン書店 e-hon というシステムがあって、ISBN番号も出てくる。しかし,調べた結果はすべて注文できません。つまり、絶版扱いになっていた。

次に考えたのは、アマゾンである。ここでは中古本も扱っているからと、探してみたら、見つかった。それも4、5点載っている。

ここでまた、難しいことが出てきた。この本は上下二冊で完結しているのだが、古本は上巻のみとか、下巻のみ、あるいは、二冊セットの価格です、などと書いてあって、どれを選んだらよいか迷う。

幸い価格は安いので、送料をいれても700、800円くらい、とりあえず、良 と書かれているものを何冊か、頼んでみた。お客様にお渡しして、自分もよい機会だから読んでみようと思ったのだ。

アマゾンのシステムも優秀だ。同一の本を重複して頼むと、警告が出て、注文しますか、キャンセルしますか、どちらか選んでくださいと聞かれた。これは、ついうっかりと同じ本やCDを注文しないように、チェック機能が備わっているのだ。

後は、届くのがまたお楽しみである。もしかしたら、違う本かもしれないが、これはこれ単独で、なかなか面白い本なのだ。

インターネットのおかげで、昔は時間とお金をかけなければ実現しなかったサービスが、手軽に享受できる。ありがたいと思った。

【江戸にまなぶ】で、弊社古文書セミナが、新聞掲載されました

今年は江戸ブームです。あちこちで関連の展覧会が開かれたり、篤姫を放映したり。そんな中、東京新聞の取材を受け、本日11/7の朝刊に【江戸にまなぶ その3】で弊社古文書セミナを取り上げていただきました。

米国の半導体企業に23年勤務した後、独立して、ビズネスブログセミナと、古文書セミナを主宰しました。これは、佐渡で能楽を研究していた時、出された資料が読めなかったのが理由です。

江 戸は260年間あって、その最後は明治と繋がっています。つまり、明治の人は、この江戸のくずし字を難なく読み書きしていました。それが、わずか100年 ちょっとで、まったく読めないというのは、文化の伝承という意味でもいかがなものかと思うのです。英語やイタリア語が話せても、日本の江戸の文字が読めな いのはつまらないと思い、講師の先生にお願いして、楽しく、初心者でも力の付くようなセミナを企画しました。

江戸に起きたことは、今も繋がっていることが多いのです。たとえば大晦日、江戸市内は商人たちが貸した勘定を集めに走りまわりますが、それは夜が明けるまで、つまり明るくなると、新年が始まって、借金もしばし取り立てはなくなります。

この話をしたところ、64歳の元銀行員の方が、銀行は昭和48年頃まで大晦日は深夜まで営業し、銀行員は各商店を回って集金されたお金を回収していた。必ず除夜の鐘を聞いて、みなで初詣してから帰宅したというのです。

ま た、東海道など旅をするときは、旅先でお世話になったうちの人が、必ず次の宿場まで付いていく、共に旅をするのが当たり前の風習だった。奥の細道などで も、芭蕉が世話になった俳人たちは、次の宿ではなく、四五宿先までお共して付いてきます。ひとつには、通信手段が限られている時代なので、二度と会うこと がないかもしれない、あるいは、一つの宿まで共に歩く事で、相手と寄り添ってずっと旅をしている気持ちを表すなどです。

これが昭和までも続き、よく東京駅の新幹線乗り場に会社の部下上司、全員集まって、見送る。また、東京から新横浜くらいまで同行するなど、よく見かけました。あれは江戸の風俗だったのですね。

こういう風に江戸を学ぶと見えてくるものは多く、それが今の不確定な時代を生きていく糧にもなるような気がします。