【江戸にまなぶ】で、弊社古文書セミナが、新聞掲載されました

今年は江戸ブームです。あちこちで関連の展覧会が開かれたり、篤姫を放映したり。そんな中、東京新聞の取材を受け、本日11/7の朝刊に【江戸にまなぶ その3】で弊社古文書セミナを取り上げていただきました。

米国の半導体企業に23年勤務した後、独立して、ビズネスブログセミナと、古文書セミナを主宰しました。これは、佐渡で能楽を研究していた時、出された資料が読めなかったのが理由です。

江 戸は260年間あって、その最後は明治と繋がっています。つまり、明治の人は、この江戸のくずし字を難なく読み書きしていました。それが、わずか100年 ちょっとで、まったく読めないというのは、文化の伝承という意味でもいかがなものかと思うのです。英語やイタリア語が話せても、日本の江戸の文字が読めな いのはつまらないと思い、講師の先生にお願いして、楽しく、初心者でも力の付くようなセミナを企画しました。

江戸に起きたことは、今も繋がっていることが多いのです。たとえば大晦日、江戸市内は商人たちが貸した勘定を集めに走りまわりますが、それは夜が明けるまで、つまり明るくなると、新年が始まって、借金もしばし取り立てはなくなります。

この話をしたところ、64歳の元銀行員の方が、銀行は昭和48年頃まで大晦日は深夜まで営業し、銀行員は各商店を回って集金されたお金を回収していた。必ず除夜の鐘を聞いて、みなで初詣してから帰宅したというのです。

ま た、東海道など旅をするときは、旅先でお世話になったうちの人が、必ず次の宿場まで付いていく、共に旅をするのが当たり前の風習だった。奥の細道などで も、芭蕉が世話になった俳人たちは、次の宿ではなく、四五宿先までお共して付いてきます。ひとつには、通信手段が限られている時代なので、二度と会うこと がないかもしれない、あるいは、一つの宿まで共に歩く事で、相手と寄り添ってずっと旅をしている気持ちを表すなどです。

これが昭和までも続き、よく東京駅の新幹線乗り場に会社の部下上司、全員集まって、見送る。また、東京から新横浜くらいまで同行するなど、よく見かけました。あれは江戸の風俗だったのですね。

こういう風に江戸を学ぶと見えてくるものは多く、それが今の不確定な時代を生きていく糧にもなるような気がします。

 

 

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