二期会の「こうもり」を見てきました

二期会創立60周年記念公演の1つ、「こうもり Die Fledermaus」を見てきました。私が見たのは、2/21の小貫グループ。アルフレード役の高田正人さんが、すてきなブログで紹介記事を書いています。

今回は、演出なのか、アドリブが多くて、本当に愉しかったです。ウィーンでオペレッタをみたら、たぶんこんな感じなのかな、と思えるくらい。劇の始まりが、アルフレードが、指揮者に向かって、最近の指揮者は踊りもできるのね、と話しかけます。

事実、大植英次さんは、愉しそうに踊りながら序曲を指揮していました。有名な話ですが、恋と、ばか騒ぎ、そして、貴族になったり、女優になったりと、登場する人がみんなその人生を膨らませて、演ずるのがみていて気持ちがよい。

アイゼンシュタインのお茶目な三枚目も、そして、堂々としたハンガリーの貴族を歌う妻のロザリンデ、女中のアデーレまで、女優に扮して、舞踏会に招かれます。

恋のだまし合いや、そして、お金はあるものの、退屈しているロシアの公爵。人物の設定がすてきなので、演ずる人も生き生き見えます。アルフレードは、声量もあり、アドリブも随所にあって、最後の刑務所のシーンでは、トゥーランドットの Nessun dorma 誰も寝てはならぬ を二人で歌い上げます。

三幕なのに、あっという間に終わってしまって、もっと見ていたいなあと思いました。
二期会の豪華なキャスト、そして濃い中身に感激した夜でした。

カテゴリー: 日常

パリ、オペラ・バスチーユで、ワルキューレを観る

パリ最終日、帰国は23:20のエールフランス深夜便。調べてみると、この日は、オペラ・バスチーユで、ワーグナーの指輪シリーズのワルキューレの初日でした。マチネなので、14時から19時半くらいの予定のはず。つまり、オペラをみて、タクシーでCDG空港まで駆けつければ、飛行機に間に合います。なんという幸運と、さっそくパリ国立オペラの会員になりました。

演出はPhilippe Jordan (Direction musicale)、モダンな舞台です。これまで、みた、どのワルキューレよりも、哀しみ、愛、そして、恐怖が際立っていました。不幸なカップルたちの愛の物語なのです。舞台の始まりは、裸の男たちが次々と殺され、それを眺めているジークムントとジークリンデ。二人は引かれ合い、愛し合いますが、哀しい結末が待っています。

そこには、絶えず死が用意されていて、死出の旅路を連想させます。近松の道行きのような透明感があって、二人の行き着く先は死しかないのだと予想させます。

フリッカは、まるで真っ赤な薔薇の精のように、舞台を遠くから眺め、近づきます。この場面では、鏡が舞台を写し、観客は上から映し出された映像を眺めることになります。細部まで見えて、隠すこともできない神々。ヴォータンは、まるでカジノで全財産を賭けて、すべてを失った男として描かれます。新国立劇場のヴォータンは、モーテルでみえないテレビを眺めていました。

有名な「ヴァルキューレの騎行」も、乙女たちは、死人の身体を拭き、次々と蘇らせ、また、新しい死体を運び込んできます。このイメージ、日本では、見たことがありませんでした。ドイツの収容所を連想してしまいます。この前に「神風KAMIKAZE」をみたので、戦い、死体、その運搬というのが、とても怖いです。

ジークムントとフンディングの戦いで、ジークムントは折れた剣と共に殺されます。そのとき、ヴォータンはフリッカを突き出し、よく見ろ、お前が望んだようになったと、、死人を見せるのです。

ブリュンヒルデが父、ヴォータンの命令に逆らい、身ごもったジークリンデを逃がすのですが、その罰として、岩山に閉じ込められ、彼女を最初に発見した男のものになるのだ、といわれます。ここからが、今度は父と娘の愛の物語なのですが、パリでみたものは、二人の間の性的緊張関係、それは、フリッカには感じなかった深い愛憎を見つけることができます。この二人も愛し合っていたのか、と今さらながら気づきました。愛故に永久に離れ離れになる二組のカップル。ジークムントとジークリンデ、そして、ヴォータンとブリュンヒルデ。

ここでは、黒衣の花嫁衣装を身にまとったフリッカが去っていきます。

もうひとつの男女、ヴォータンの妃のフリッカと、ジークリンデの夫、フンディング。二人は正式な結婚による配偶者のはずなのに、なぜか、心の通じ合わないカップルとして描かれます。この悲劇も、忘れてはいけないでしょう。

演出はモダンですが、取り上げられているテーマは、愛。愛の物語だったのです。字幕は、英語とフランス語で舞台上部にでます。わからないときは、それを眺めながら、そして、心の動揺に震えながら、この愛の物語を堪能しました。席は前から五列目。オペラグラスなしに、舞台で何が起きているのかがよくわかります。音響もすばらしい。この新しいオペラ座は、どの席でも舞台がよく見えるように設計されているそうです。

19時過ぎに終わり、長いカーテンコールが始まったのに、中座するのはたいへん心残りでした。バスチーユから、タクシーを捉まえ、第二ターミナル、Eゲートまで、これを逃すと帰れません。次回は、ゆっくりとオペラを鑑賞できる日程にしようと思いました。

ビジュアルについては、こちらのサイトを参考にしてください。すてきな場面の写真が載っています。

1. ジークリンデも「あなたこそ春です」と歌い、二重唱となると、外には桜の花が咲いている。

2. 真っ赤な薔薇をイメージしたドレスを来たフリッカが、夫ヴォータンに、不倫、兄妹の近親相姦を抗議しにくる。赤は情熱ではなく、怒りの象徴。煮えたぎる血潮だ。

3. 疲れて眠りに落ちるジークリンデと、ジークムント。

4. 岩山に閉じ込められるブリュンヒルデ。傍らに立つのが父親のヴォータン。

フィレンツェは、歴史的遺産の国

初めてフィレンツェを訪れてから、40年になる。団体旅行、個人旅行と、もう15回以上出かけている町。今回パスポートを見たら、五年ぶりだった。町は変貌する。旅行者たちの質や、意識も変わる。

かつて、お買い物客で溢れていた町は、その意味では静かだ。アウトレットができ、インターネットのおかげで、日本にいてもイタリアモノが手に入る。わざわざ出かけて、免税手続きしなくても、宅配便で家まで届けてくれる。そういう時代に、昔ながらの商売は難しい。経営者の代もかわって、なじみの店が、名前が変わっていた。

五年間というのは、やはり長すぎる。せめて、二年に一度は出かけなくちゃと思った。町の勢いが無くなっている。なじみのホテルも改装中、星が減っている。また、新しいところを探さなくてはと思った。しかし、この町に何泊もしたいだろうか。

疲れて空腹なときは、どんなにすばらしい芸術をみて、感動しない。まず、胃袋を納得させなくてはと、レストランを探しつかれて、カフェテリアを思い出した。この店は、少々お高いが、品質がよく、味わい深い。おなかに何かが入ると、少し元気がでる。

混んでいるウフィツィには出かけたくなかったが、乗ったバスがそこで止まったので、降りた。さすがに二月の観光客は少ない。切符の列もなく、スムーズに入れた。

見たいと思っていた、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」、「春」、そしてダヴィンチの「受胎告知」をまじかでゆっくりと見ることができた。 中はあちこちで改装中。屋上にカフェテリアができていて、そこから写したドウモの風景。

この町は美術館と、建物の面白さで、勝負するしかないのだ。

買い物も、食事も、ここでは、長居をしたくないと思った。

昔家族で何泊もして、美術館を巡った日々が夢のように思える。長年つきあった恋人がくたびれてきて、どうしようか、と迷っているところだ。

パリから、ベネチアへの乗り継ぎ便がキャンセルになる

2/10に日本を立ち、パリ経由でベネチアに着く予定でした。パリには定刻に到着し、長いターミナルを歩かされ、18:15発のベネチア行きに乗り込みました。すると、ベネチア空港が閉鎖されているので、しばし待つようにというアナウンス。二時間待って、結局便はキャンセルになりました。

振り替え用の便が21:15に出るからと、そちらのチケットを発券され、ゲートで待つことに。アナウンスのたびに出発時間が遅れて、10時半の段階ですべてキャンセル。どうなるのかと、思うと、隣の日本人団体の添乗員さんが大声で怒鳴っていました。

日本からの乗り継ぎ便に関しては、責任があるから、今夜のホテルを用意させます。頼もしいお言葉。海外で困ったときは日本人団体の近くにいて、同行したほうがお利巧。近くにいた個人客四人でカウンターで交渉すると、翌朝のチケットと、ホテルバウチャーまで発券してくれました。

さて、ここからが大変。シャトルでターミナル2までいったのですが、ホテルの運行バスは11時半で終了。近くにいたタクシーに聞くと、30ユーロ払えば連れて行くと、吹っかけます。同行者がいたので、二人で別のタクシーを見つけると、こちらは15ユーロでよいというので、乗り込みました。着いたのはホリディインCDG。フロントには、同じ仲間が並んでいます。このホテル、ビジネスと、エコノミーでは違うようです。先着順にホテルもフライトも決まるわけで、遅くなると昼便になってしまいます。

翌朝は7:20の便で、空港には六時までに来るようといわれていました。こちらもホリディインCDGの前でシャトルバスを待ち、ようやく無事にベネチアに飛び立つことができました。

マルコポーロ空港から、バスでローマ広場まで、そこからホテルは歩いて7分とのことで、探しました。迷った先のホテルで教わって、なんとか到着。人の親切に助けられての旅です。

オペラ「KAMIKAZE-神風-」を見てきました

三枝成彰さんの新作オペラ、「KAMIKAZE-神風-」世界初演の初日に出かけた。神風というのは、特攻隊のことで、戦争のオペラなのか、と思ったら、違っていた。

戦争という異常な状況の中で、男と女が愛を貫くことの困難さ、そして、愛国の心から、死と向かい合う若者。そんな愛のドラマだった。

舞台は、鹿児島の知覧飛行場、ここで特攻隊の隊員たちが訓練され、そして、出撃を待つ。三枝さんのオペラは、始めてだったが、メロディの美しさに感動する。アリア歌詞は知子・愛子は、大貫妙子さん。哀しさ、切なさ、無念さが胸を突く。

愛子役の小林沙羅さんは、知覧まで取材に出かけている。だから、あんなに思いがこもった演技ができるのだ。

主人公の神崎光司少尉 (配役: ジョン・健・ヌッツォさん)と、土田知子 (配役: 小川里美さん)は、実在の人たち。二人が過ごす最後の二日間。婚約者を訪ねて、東京からやってきた知子は、光司が特攻に志願していることを知らなかった。白いワンピース姿の知子が象徴的だ。

二人の愛のアリアがすばらしい。最後の別れの知子が歌うアリアも、哀しく、清らかだ。昔の人たちは、本当に美しい言葉を知っていた。戦争という極限の事態では、個人というのが、まず押しつぶされる。お国のために、死んでいく若者たち。そして、残されたものだけで、国は存続するのか。

このテーマをオペラ化しようと考えた、三枝さんも、昭和の人。こういう悲惨さ、不条理さは、後世に伝えなければいけないと思う。

ここに出てくる冨田旅館のひい孫たちも、初日に見に来て、曾祖母役の坂本朱さんの演技に泣いたそうだ。

初日で、涙がでるくらい感激したのだから、最終日は、さぞかし、濃厚な歌劇になったと思う。指揮 大友直人さん、美術 千住 博さんという豪華なメンバに囲まれて、三枝さんの才気も光っていた。

最後の桜吹雪の中での終焉は、近松の心中ものを思い出させる。演出もきわだっていた。

知合いが、この作品に出ていたので、実は8月頃からチケットを購入してあった。たぶんそうでなかったら、見逃していたかもしれない。日本では、日本人による新作オペラというのが、評価されにくいのだ。そういう意味でも、この成功はうれしい。