江戸のまち歩き、柴又、立石を歩く

六本木ヒルズのライブラリーコミュニティで、ひと月に一度、江戸のまち歩きを主宰しているが、2月は柴又、帝釈天だった。あのとらさんで有名な柴又、葛飾の会に出かけているが、降りたのは初めてだ。

駅前にはとらさんの銅像が建っていて、みんなカメラで撮っていた。帝釈天までは地図を見るより、参道を歩くのがよい。道の両側には食べ物やなどが並んでいて、まるで縁日のよう。どこか昭和の香りのする町並み。団子屋さんがたくさん並んでいるが、お薦めの高木屋でお土産を買う。

帝釈天は、江戸からあった有名な日蓮宗の寺院。正式の山号寺号は経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)。境内に入ると、靴を脱いで中に入ることができる。京都の寺院と同じく、回廊で建物が繋がれている。

ここで大抵の人はお帰りになるのだが、実はすぐ近くにある山本亭が すばらしい。庭園と建物が見事で、葛飾区の景勝庭園にもなっている。本日は、幸運なことに貝合わせの貝を描いた作家の方とお話しすることができた。公家の 雅な遊びである貝合わせだが、百人一首を描くことは珍しく、普通は花や風景だという。この作家の方は、冷泉家の復刻版百人一首のカルタを参考に、ひとつひ とつに絵を描き、和歌を書いて準備されたそうだ。

展示されているのが、現代作家の作だというのは解説されるまでわからなかった。そのくらい、見事な作品にまとめられている。

柴又のあとは、立石に向かう。ここは葛飾区役所がある中心地。美味しいものの店もたくさんある。今回は、寒い中をあるいたので中華料理をいただく。みんな大満足だった。

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もう少し時間があったら、お金があったら幸せになれるのか

大部分のひとは、もっとたくさんの時間や、愛、お金などがあれば、何かをすることができると思っている。たとえば、本を書いたり、旅行をしたり、別荘を買ったり、よい人間関係が築けたりする。

そして、それが叶って、初めて、幸せな,満ち足りた人生が送れると信じている。今は、あと少し何かが足りない思いながら暮らしている。

どうもこれは違うようなのだ。給料をもらって、余ったら貯金するという人は、たぶん何も残らず、貯金ができない。最初から、天引きして、積み立てていけば、必ず貯金ができる。

それと同じように、足りないのだと思わず、自分は今ある自分が幸せ、満たされていると考える人は、ずっと今が続くわけだから、幸せも続く。お金や時間についても同様のことがいえる。

いつも時間がたりないと嘆いている人は、忙しさの原因を手放したら、変わるのかもしれない。拘束時間が長くて、給料の安い会社なら、転職するのも視野にいれよう。

私自身について考えても、ポジティブに暮らしていると、そういう仕事や仲間を引き寄せている。今が幸せと明言できない人は、人生はいくらでもやり直せるのだから、これまでの方向性をリセットしたらいいと思う。

これだけグローバルな時代なのだから、日本に留まらずに海外で暮らすこともいい。あと少しで幸せになれると、頑張るよりも、今が幸せといえる人生を送りたい。