びわ湖オペラ、ジークフリート

IMG_2654
びわ湖ホールで、4年間に渡り開催される〈ニーべルングの指環〉、今年は三年目で、ジークフリート。気づいたときには、チケットは完売で、今年は見られないのかと危ぶんだ。幸運なことに、再発売の情報をいただき、移動中の電車の中から、クレジット決済するという、荒技で、極上の席を入手。オペラは、どの席でみるのかも重要な要素なのだ。

今回は、京都から朝早く出て、義仲寺に立ち寄り、その後、びわ湖に面したドイツレストラン ヴュルツブルクでランチ。隣のテーブルの方たちも、オペラに向かうようで、音楽の話題で盛り上がっていた。ここから、びわ湖ホールまでは徒歩で25分。びわ湖を眺めながら、歩く。

IMG_2650IMG_2652

さて、前置きはこのくらいして、オペラの話に戻る。わたしが見たのは3月2日。指揮 沼尻竜典、演出 ミヒャエル・ハンペ、管弦楽 京都市交響楽団。

一年ぶりに同じ場所に集い、席に着く。席は本当にいい場所、よくこれが手に入ったと不思議に思う。

さすらい人になったヴォータンが、ミーメから三つの質問をされ、丁寧に答える。いつも、 こんなわかりきったことをなぜ繰り返すのかと、不思議だった。今回は回答のようなものが見えた。一年ぶりの 観客に、あるいは、初めて見るものに、物語の筋を教えているのだ。

ジークフリート役ができるテノールは、世界に10人といないらしい。とくに今回は、四時間以上も歌い続け、最後にブリュンヒルデとの愛の歌を奏でる。これができるものは、マラソンでゴールして、サッカーの試合に出るようなもの。

16歳のりりしい少年に見えなくてもいいのだ。歌がすばらしければ、すべてが許される。

TOKYO リングでみた、モーテルの映らなくなった砂色の画面をみつめているさすらい人、スーパーマンのTシャツをきて、ブレンダーにいれたノートゥングを鋳るジークフリート。今回はもっとまともな演出だ。実は、2017年の6月1日に、新国立劇場でジークフリートは見ている。そのときは、入手できたのがC席で、4階から見下ろすようにして、眺めたのだった。

見る席は大切だ。良い席でみると、話の筋がよくわかる。なんども見ているはずなのに、今回はたくさん発見があった。別の言い方をすれば、丁寧に作っているのだ。

恐れをしらない若者、若者を利用して、黄金を奪い、世界を支配しようとするもの、そして、それを狙うもう一人の男。 黄金を守るため、大蛇になって、番人となるもの。主神でありながら、さすらい人となって、世界を歩く人、叡智を集めたという女、いまは地下深く眠りについて、起こされたことを不満におもっている女。炎に囲まれた岩山で眠る女、彼女を目覚めさせるのは、あのとき助けた女が産んだ男の子。

ここで物語は十六年を経過している。神々は年を取らない。眠らされたブリュンヒルデはともかく、残りのものどもは、十六年もの長きにわたり、怒りをあるいは恐れをもち続けたというわけか。 あるいは神々にとって、年を取らないということは年月は一瞬なのか、ヴォータンは長年さすらい人として旅をしていたかのように見える。

大蛇となったファフナーは賢者のようにもみえるし、ユーモアもある。水を飲みにきたのだが、食べ物もいっしょに得ることができるのだ、と。 これまでそんなことに気づきもしなかった。

森の中、大蛇退治、そして、炎の山を登り、花嫁を発見する。十六歳の男の子の夢と冒険物語。その裏で、もう動き始めた事実をとめることもできない、ヴォータンの哀しみ。ミーメは、報われることなく、殺される。 赤子から育てた若者である、ジークフリートには罪の意識がない。単純で、荒削りな性格、ブリュンヒルデの叡智とは調和するのだろうか。

ジークフリートは、ミーメに育てられたから、老人を嫌っている。さすらい人も年老いているので、嫌いなのだ。あの槍をノートゥングでまっ二つに折り、あたらしい時代が始まることを予見している。おそれおののく、乙女のブリュンヒルデに、いまあなたが欲しいと、歌い続けるジークフリートは、それを手に入れたら、次のことを始めるのだという予感がする。

バランスよく、愛情に包まれという、育ちかたでない若者が、次の行動にでるとどうなるのか。神々の終焉まで、みなくてはとおもう。

ジークフリートも、正当流ですばらしい歌声だっだが、ヴォータンがいい。この人は、堂々としていて、主神としての威張りくさったところ、そして、虚勢も張る、
哀しみ、世の中に対する恐れ、そんなものが感じられた。ただ、堂々として立派なだけではだめなのだ。

最後にカーテンコールに並んだ人々をみて、今回はこれだけの人で演じているのかと驚く。

アルベリッヒ、ミーメ兄弟、ヴォータン、ファフナー、ジークフリート、ブリュンヒルデ、小鳥役、エルダ
八名で、こんなに濃厚な舞台になるのか。

舞台は映像も駆使して、立体感とシャープさを出しているが、そこに集う人々がみな、胸に一物あり、恐れをしらないのは ジークフリートばかりだ。

帰りの電車の中で、一両のほとんどがびわ湖ホールからの帰り。オペラについての話が弾んで聞こえてくる。 これは地方だからのこと、上野の帰りに山手線のなかで、オペラの話をするものは皆無だ。

何度も見ているオペラでも、発見はたくさんある。今回のは、とくに丁寧にわかりやすく、つまり、奇をてらうことがなかったと思った。

鎧や兜を外された乙女のブリュンヒルデは可憐でよかった、と思っていたら、

いろいろと前置きはいうのでしょうが、最後には彼の胸に飛び込んでいくのでしょうと、帰りの信号待ちで、年配のご婦人たちが語るのがいい。

もちろん、びわ湖オペラを見るために来ているのだが、一日オペラに浸っていられたのは旅先の非日常だから。 パリでは、夜七時から始まる。オペラは夜の楽しみ。七時半に終わってはフランス人は寂しいだろうと思ったりする。

来年は13時開演だそうだ。二回とも見たい気がする。

沼尻指揮による、演奏は完璧、日本にいることを忘れてしまうほど。
びわ湖オペラは貴重な体験である。

□3月2日公演キャスト
ジークフリート   クリスティアン・フランツ
ミーメ     トルステン・ホフマン
さすらい人   青山 貴
アルベリヒ   町 英和
ファフナー   伊藤貴之
エルダ     竹本節子
ブリュンヒルデ 池田香織
森の小鳥    吉川日奈子

コメントは受け付けていません。