富士山は、気高く、そして恥ずかしがり屋。

大阪に行くのに、マイレージの特典旅行を利用するため、成田から仙台、そして、仙台から大阪という三角形の二辺を飛ぶという、コースを選んだ。

一つには、仙台空港からの景色が見たかった。何年か前に利用したことがあって、あの大震災のあと、どのように復興したのか、この眼に見ておきたかった。

成田からの出発が10分遅れて、仙台には11:05に到着。乗り換え便は一時間半後なのだが、雪のため、遅れとのこと。海から、こんなに近いのだ。気づかなかった。

持っている搭乗券は、前の便もご利用できますのでと、係りの人に案内されて、搭乗手続き中の11:20大阪行きに乗る。手荷物だけで、係りの人に連れられ、バスに乗って、飛行機に滑り込む。昔、同じようなことをテキサス州オースチンからやったことを思い出した。

仙台は快晴、途中、アナウンスがあって、富士山が見えるという。窓際の席なので、探してみたが、何も見えない。富士山は雲がかかっていて、見えるのは一瞬だというが、しばらくすると、その全貌が見えてきた。

雲間に浮かぶ富士山


冬の日の澄んだ空気がよかったのかもしれない。こんな富士山をみたのは、初めて。わざわざ仙台経由にした甲斐があるというもの。

昔から霊峰としてあがめられてきた理由がわかるような気がする。大人たちが心をときめかす何かがあるのだ。雲の上の世界をきっと垣間見せてくれるのだろう。古代の人もきっと、山頂まで上ったに違いない。

大阪には予定より10分早く着いて、すべてが順調だった。来年の年賀状の絵柄はこれにしよう、と決めた。

特典旅行でここまで楽しめるのは、幸いである。

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隅田川で、パリに出会う

すみだリバーサイドホールで開催中の「ぱらぱら北斎 漫画カフェ ~北斎を知ろう」を見るために、浅草で降りた。そこは、いきなり、スカイツリーが見えて、みんなが写真を撮っている。

隅田川を挟んで、北が台東区、南が墨田区。すみだリバーサイドホールに行くには、吾妻橋を渡ることになる。ここの景色をみていると、パリみたいだと思った。

時間帯がよかったのかもしれない。16時半過ぎ、夕暮れの少し前で、辺りは、雲がかかっていた。

川が流れていて、船が行き来するのが、パリ、セーヌ川のバトームッシュに見えたのだ。近くにはスカイツリーも見えて、こちらはエッフェル塔。

 

飛行機に乗らなくても、パリと出会える町なんて、観光名所にしたらいいのにと思った。川の近くは、それだけでわくわくする。船が絶えず行き来しているのをみていると、本当に飽きない。隅田川の南にはあまり出かけたことがなかったが、江戸を感じた。

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佐渡能舞台の旅 その3

今年の草苅神社の演目は、「井筒」。伊勢物語から取った幽玄能。在原業平と紀有常の娘の恋物語を語り、業平の形見の衣と冠を身につけた有常の娘の亡霊が現れ、静かに舞を舞い、業平をしのびます。

今回のシテは女性でしたが、前シテでは、淡々と由縁を語り、自分こそ有常の娘で「井筒の女」であると明かします。そして、そのまま後シテとして業平の形見の衣と冠を身につけ、「序ノ舞」を踊ります。その優雅なこと、気品のあること。同じ面なのに、憂いを含んだ貴公子のようで、すばらしかったです。

やはり、日頃のお稽古の賜物ですね。こういう能楽を特等席でみられて、本当に幸せでした。

佐渡能舞台の旅 その2

佐渡から戻ってきて、まず、調べたのは佐渡能舞台に関する文献、記事。インターネットで、ひとりの建築家が、佐渡の能舞台を調査している記事をみかけ、資料を送ってもらったりしました。

そして、調べれば調べるほど、島内33か所の能舞台の地図,写真などの資料がないことがわかりました。なければ、作ればいいと、単純にそう思ったのです。当時、外資系企業に勤めていたこともあり、休暇をとって、まず、能舞台の写真を撮るためのロケハンに出かけ、翌週、プロのカメラマンを連れて、三日間で島内の33か所の能舞台を撮影することができました。

今思ってもそれは、奇跡的に幸運にめぐまれてのことでした。最初に出かけた、佐渡博物館で渡られたのは一枚の地図。そこには、島内の地図に番号が振ってあるだけで,肝心の能舞台の神社名はあるが、番地はありません。同行した、観光タクシーの運転手さんも、場所をしらないというありさま。

無理をいってお借りした、若井三郎さんの佐渡の能舞台の解説を読みながら、場所の手掛かりを掴みました。当日は十月最初の土日。佐渡では、米の刈り取りの時期でした。

普段はひとのいない田んぼに、刈り取りのひとがいます。近くまでは来ているけれど、場所のわからないわたしたちが、神社の名前をいうと、親切に教えてくれます。観光タクシーと、お客というシチュエーションに、きっと困っているのだろうと、近くまで、車で先導してくださった方もいました。

おかげで、土日の二日間で、なんとか場所がわかり、ロケハンは完了しました。撮影当日も三日間とも快晴。天にも支えられて、無事、撮影が終わりました。一方、カメラマンが撮影している間、わたしと運転手さんは、近所の大きな農家に聞き取り調査。いつ頃まで、能楽をやっていたのかをお聞きします。持参した2万5千分の一の地図にも、正確な場所を書き込んでいきます。

これらの資料をまとめて、佐渡博物館に提出しました。このときは、まだ、それ以上のことは、考えてもいなかったのですが、調べていくうちに、佐渡の能舞台に魅了されていくのです。最初にみた、草苅神社の能舞台、楽屋に演能の記録があるのですが、それがあるときから途切れていて、宮司にお尋ねしてみました。

すると、スポンサーがないので、できないというのです。それなら、どのくらい金額がかかるのか、わたしでも支援できるのか、など詳しくお聞きしました。

すると、宮司がいわれたのです。一年か、二年してやめたりできない。これは、神様との約束なのだから、五年、十年と続ける覚悟がないかぎりできない、と。そして、わたしは、高校の同期会にも声をかけ、協賛金という形で寄附をもらうことにしたのです。

そして、十年。なんとか、続けることができました。みなさまのご協力、ご支援がなければできなかったことです。舞台は、羽茂の昭風会のメンバにご協力いただいております。参加される方も十年で、新旧交代があったりして、伝統芸能の継承がうまくいっていると思っています。

佐渡能舞台の旅 その1

毎年、佐渡を訪れている。その中でもいちばん大切な行事は、草苅神社の乙祭り9/7に能楽を奉納すること。今年で10年になるということで、神社からは表彰状をもらってしまった。

最初に佐渡に出かけたのは、2003年の夏。NPOの仲間がアースセレブレーションで手伝いをすることになっていた。気になる島だから、ひとりで出かけてもつまらないだろうと、仲間5人と参加した。アースセレブレーションでは、鼓童の演奏も聴き,翌日バスツアー「佐渡再発見の旅」で、3つの能舞台を回った。大膳神社、安養寺、草苅神社。その中で、草苅神社は、宮司とバスツアーの案内人が知合いだったので、中も見せてもらった。美しい能舞台だなあ、と思った。

佐渡には33の能舞台があるという。だが、島内でもそのすべてを回った人はほとんどいなかった。ずっと昔、昭和43年に若井三郎さんという方が、佐渡農業高校に勤務され、佐渡博物館でみせられた、草苅神社の写真に魅せられて、それから佐渡の能舞台を歩いて、調べられ、二冊のご本をお出しになった。「佐渡の能舞台」、「佐渡の能組」である。

草苅神社に魅せられたものが、奇しくも佐渡の能舞台を調査、研究するのは、何かの因縁なのかもしれない。

水道歴史館は、江戸の暮しを知る一歩だった

江戸が好きという仲間と二三ヶ月に一度、「江戸の町歩き」というイベントを行なっている。土曜日か、日曜日の11時頃集って、江戸に関わる建物、風物、展示などを眺めて歩く。

8月は、東京都水道歴史館と、文京ふるさと歴史館を訪れた。水道歴史館には、江戸の長屋が再現されてあって、広さや奥行きから、庶民の生活を想像することができる。

家康が江戸に入り、まず最初に行なった水の確保、それが神田上水だった。

人口が増加するにつれ、さらに水を確保する必要が生まれた。 1654年(承応3年)、玉川上水の普請が始まった。請け負ったのは、民間人の玉川兄弟である。この頃から、民活が生きていたのだ。

羽村取水堰(はむらしゅすいせき)は、東京都羽村市にある多摩川の堰。玉川上水の取水口(水源)である。ここから、四谷大木戸という江戸の市中まで水を引くことを考えた二人はすばらしいと思う。

水道歴史館では、実際に使われていた木樋や継手の組み方・構造などを見ることができる。これらは、以前にも見たことがあったが、実際にどんな使われ方をしていたのか、詳細なことは知らなかった。

考えてみれば、水は生活の必需品だから、水を知ることは、江戸の暮しを知ることになる。こんなすてきな場所が入場無料、しかも空いている。

開館時間: 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日: 毎月第4月曜日(月曜日が休日の場合はその翌日) 年末年始(12月28日~1月4日)
平成26年3月までの休館日:7/22、8/26、9/24、10/28、11/25、12/24、12/28~1/4、1/27、2/24、3/24
入館料: 無料
所在地: 東京都文京区本郷二丁目7番地1号 〒113-0033
連絡先: TEL:03(5802)9040  FAX:03(5802)9041

パリの錠前橋

ルーブル美術館から、サンジェルマン・デプレに向かう途中に、ポン・デ・ザール (Pont des Arts :芸術橋
)があるが、ここのフェンスに、南京錠がびっしりぶら下がっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

いっしょにいたミラネーゼに聞くと、元々はイタリア映画で紹介され、それがあっという間に流行したとのこと。愛し合う恋人たちは、南京錠に二人の名前を書き込み、ここにぶら下げる。そして、鍵はセーヌに投げ込む。二人の愛は永遠に結ばれるというわけだ。

一時、全部撤去されたらしいが、また、懲りずにぶら下げているそう。受験生が絵馬を奉納するのにも似ている。鍵を捨てた二人が、本当に幸せになれるのかは、神ぞのみ知るべし、である。

元になったイタリア映画は、Ho voglia di te (I want you)

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フィレンツェは、歴史的遺産の国

初めてフィレンツェを訪れてから、40年になる。団体旅行、個人旅行と、もう15回以上出かけている町。今回パスポートを見たら、五年ぶりだった。町は変貌する。旅行者たちの質や、意識も変わる。

かつて、お買い物客で溢れていた町は、その意味では静かだ。アウトレットができ、インターネットのおかげで、日本にいてもイタリアモノが手に入る。わざわざ出かけて、免税手続きしなくても、宅配便で家まで届けてくれる。そういう時代に、昔ながらの商売は難しい。経営者の代もかわって、なじみの店が、名前が変わっていた。

五年間というのは、やはり長すぎる。せめて、二年に一度は出かけなくちゃと思った。町の勢いが無くなっている。なじみのホテルも改装中、星が減っている。また、新しいところを探さなくてはと思った。しかし、この町に何泊もしたいだろうか。

疲れて空腹なときは、どんなにすばらしい芸術をみて、感動しない。まず、胃袋を納得させなくてはと、レストランを探しつかれて、カフェテリアを思い出した。この店は、少々お高いが、品質がよく、味わい深い。おなかに何かが入ると、少し元気がでる。

混んでいるウフィツィには出かけたくなかったが、乗ったバスがそこで止まったので、降りた。さすがに二月の観光客は少ない。切符の列もなく、スムーズに入れた。

見たいと思っていた、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」、「春」、そしてダヴィンチの「受胎告知」をまじかでゆっくりと見ることができた。 中はあちこちで改装中。屋上にカフェテリアができていて、そこから写したドウモの風景。

この町は美術館と、建物の面白さで、勝負するしかないのだ。

買い物も、食事も、ここでは、長居をしたくないと思った。

昔家族で何泊もして、美術館を巡った日々が夢のように思える。長年つきあった恋人がくたびれてきて、どうしようか、と迷っているところだ。

「東京国立博物館140周年特集陳列 博物館に初もうで」に行ってきました

上野の森は、いつもわくわくしながら出かけます。上野動物園、国立西洋美術館、国立科学博物館、東京都美術館、そして、東京国立博物館。どこに行くのか、その日の気分で選ぶこともあります。

1/27 日曜日は、東京国立博物館の新春イベント、博物館に初もうでの最終日。下谷七福神めぐりが無事終わって、その足で鴬谷から向かいました。王羲之展が1/22から開催中、円空展もあります。でも、この日は夜、別件があるので、常設展のチケットを購入。こちらは大人600円です。

トーハクのよいところは、たくさんありますが、2つあげるとしたら、写真撮影ができること、そして、もうひとつは、休憩する場所がたくさんあることです。

 

 

 

休憩所の天井にあるランプ、アールデコ調

 

本館の解説から引用

【J.コンドルが設計し、明治15年に開館した旧本館は大正12年に関東大震災で大きな被害を受けました。その後、昭和13年(1938)に昭和天皇の即位 を記念して開館したのが現在の本館です。渡辺仁による設計で、コンクリート建築に瓦屋根をのせ、東洋風を強く打ち出し、「帝冠様式」の代表的建築とされて います。平成13年(2001)に重要文化財に指定されました。本館では、日本の美術、工芸、歴史資料を展示しています】

ここでは、縄文から江戸までが展示され、特に二階には、能・歌舞伎、浮世絵が展示されていて、大好きな場所です。そこが写真撮影ができるようになったのですから、うれしさ倍増です(中には撮影禁止の展示もあり)。

今回は、硯箱がすばらしかったので、撮ってみました。椿の模様の硯箱。蒔絵作品、

松椿蒔絵硯箱 1合 室町時代・15世紀

他にも面白い展示がたくさんありました。観覧の記念に一枚というも、なかなかすてきです。そして、B1にはミュージアムショップがあり、お手頃価格で、珍しいプレゼントが見つかったりします。わたしは、酒井抱一の文香を海外出張のお供に買い求めました。

日曜日の閉館は五時。ミュージアムショップを出ると、夕日が沈むところでした。上野森がきれいです。

荷物は少ないほど、快適な旅ができる

いくつかの偶然と、幸運が重なって、ベネチア、フィレンツェ、パリ8日間の旅をすることになった。ベネチアのカーニバルの最終二日間をみて、フィレンツェまで列車の旅。そこからさらに一時間乗って、モンティカティーニに滞在。ここには知合いがいて、ワインの講座を見学することにしている。

そして、フィレンツェからパリまでは、飛行機。バレンタインの日にパリに到着する。ここにはロンドン時代の友人のミラネーゼがいて、彼女との再会はほぼ30年ぶり。ホテルも彼女の家に近い、サンジェルマンディプレに取れた。

そして、極め付きは、オペラ・バスチーユ。日曜日に帰国するのだが、23:20発の深夜便を予約していた。調べると、この日は、オペラ、指輪のワルキューレの初日で、14時から開催される。途中、二回の休憩を挟んで五時間の大作。14時スタートだから、19時半には終わって、その足でCDGに向かえば、飛行機には十分間に合う。

パリでオペラを見るなんて、何度も出かけて初めての経験。それにワルキューレは、指輪の中でもいちばん好きな演目。ドイツ語でも気にならない。

そして、考えた。これらの旅を快適にするには、荷物は少ないほどよい。荷物が少なければ、タクシーではなく、RERに乗れる。オペラ劇場でも、手荷物として預かってもらえる。さて、何を持っていくか。ここが頭の働かせどころ。以前、ベネチアからフィレンツェまでいっしょになった日本男子は、荷物が本当に少なかった。持参した衣類は、圧縮袋で小さくして、運んでいるという。電車での旅は荷物を手元に置く方が安全。だから、大型スーツケースは、役に立たない。

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