ツイッターのタイムラインが、変わってしまった

3.11より前のツイッターは、みんながきれいな夕焼けや、海岸の風景、お弁当の中身、飼っている猫や犬などを載せていて、見るとほっとすることが多かった。

わたしも定点観測で、3階のベランダから夕焼けの空をよく撮った。それが、今日、千葉市の平和公園墓地で、桜が咲いているのに、携帯カメラもさわらず、帰ってきた。

そういう自然の営みに心を動かされて、和歌を読んだり、俳句を作ってきたのが日本人だ。 やまとびとのわれわれが、それを忘れていけないと思った。美しい風景に出会ったとき、素直に感動できる柔らかな心を持ちたい。

毎日、哀しいニュースが多いが、それを超えて、生き延びるためには、どうしたらよいのか。まず、自分を甘やかそう。そして、元気になって、誰かのためになることをする。自分に余裕がないと、なにも始まらない。

今日からツイッターには、楽しいことも書いていく。新しい発見、出会い、どきどきするもの、そんなものに飢えているのだ。大好きなキースエマーソンからも、すてきな音楽の贈り物を貰った。みんなが応援してくれているニッポン。

3.11 大地震から一週間

9.11 複合テロが起きたとき、私は米国系企業のWeb担当だった。サイトを二日間停止し、その間に対策を考えた。どんなに忙しくても、帰って眠る家があったし、電車も電気も、日本ではいつも通り。海の向こうの話だったと思う。

3.11 大地震も最初の揺れには驚いたが、電気もガスも水道も使えたので、土日の混乱が収まれば、月曜日からはまた、いつもどおりの生活が始まると、ぼんやりと考えていた。そう思う人はたくさんいて、金曜日も夜まで仕事して、帰る手段がなく、歩いたという。

大地震からちょうど一週間、長い長い一週間。そして、絶対に忘れることのできない時間だと思う。世の中がまるで変わってしまった。当たり前のことが、通用しない。モノに溢れて暮らしていたのに、現実は、牛乳も、パンも、卵もない。どこか、別の国に暮らしているみたいだ。

わたしたちの甘受していた豊かさというのは、薄い皮の上にあっただけ。そのことをすっかり忘れていた。借金が重なる家なら、節約して、お金を返すことに注力しなければならないのに、まあいいさと、ムダに使っていた。24時間営業の店は、本当に必要なのだろうか。

どこかの球団のように、3000世帯分の電気を使って、ナイターをやると宣言している人もいる。まだ、わかっていないようだ。何も資源を持たない島国のニッポン。わたしたちの祖先がどうやって、いまの社会をつくってきたかをもう一度、思い起こそう。

いまは、戦後なのか。まあ、それに近い状態だろう。ゼロからの出発って、ある意味、誰にでも公平なのかもしれない。自分のなりたい自分を作る。だれかに強制されたり、だれかのために生きようなどとは思わずに、自分はなにをするためにここにいるのか、なにをしたいのかを考えてみよう。明日からは三連休。外に遊びに行く気になれない人は、真面目に考えてほしい。復興というが、そんなに簡単なことではない。個人個人がぶれない、信念のようなものをもっていないと流される。

ヤシマ作戦、結構気に入っている。暖房しすぎて、あくびがでるより、やや寒い部屋だと、頭が冴える。こうやって、日本人は生き延びてきたのだから、大丈夫。今月の電気料金もどうなっているのか、結構楽しみ。

ヤシマ作戦実施中

ツイッターをやっていない方には、何のことかと思われるかもしれない。【ヤシマ】とは、「屋島の戦い」に由来する、TVアニメ新世紀エヴァンゲリオン」に登場する作戦名。

はてなキーワードによれば、2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震で、福島県原発など東京電力および東北電力の発電設備にも大きな打撃を受けたため、政府と電力会社が停電を避けるために広範囲な節電を呼びかけたことが、上記の「エヴァ」作品上の作戦と類似していたことから、twitterなどを中心に「ヤシマ作戦」と呼ぶようになり、アニメ公式ブログでも追認した。

ツイッターの中で、みんながつぶやくようになり、友人のお嬢さんも暖房を止めて、コートを着るようにと母親に宣言したという。その後、計画停電の実施が発表され、節電は、本当に非常時に必要なことだという認識が高まった。

家庭の中で、いちばん電気を食うのが、エアコン。これまで、何も考えずに25℃に設定していたが、ときには暖かすぎることもあった。晴れた日なら、室温が20℃くらいにはなるので、今日はエアコンを使っていない。夕方日が落ちたら、カーテンを閉め、暖かさを逃がさない。

いつもより、余分に上着を着て、ダウンジャケットをひざ掛け替わりにすると、あたたかい。どうしていままで気が付かなかったのだろう。電気を節約するため、夜型から、朝型に変更始めた友だちもいる。

蛍光灯も昼間はいらないし、半分でいいはず。昔は昼休み、電気を消していた。こういう意識の変化は、ひとりだけでなく、大勢でシェアして行きたい。このまま暑くなったら、冷蔵庫に頼らない食事の献立も必要になってくるだろう。それは、スローライフや、エコな暮らしに帰ることだ。

計画停電を回避するために、ささやかだが、節電を始めた。モノを買ったり、売ったりしないと経済復興はできないが、限りあるエネルギーを大切することはいいことだと思う。

あの大地震の前に、注文した荷物が届いた。イギリスにオーダーした部屋着セットである。これを着る頃には、停電が終了していることを祈りながら、冷房なしで暮らせるだろうかと思う。今回のように日本人がみんなで工夫を出し合っていたら、快適な夏の過ごし方のヒントも貰えるだろう。ただ、節約だけでは楽しくないように、節電の楽しみも考えてみよう。

計画停電、第1グループ

3/11の大地震の後、交通機関も復旧して、そのまま日常に戻ると思っていた。それが日に日にあちこちで、被災の状況がわかるにつれ、これは復興まで時間がかかるということが分かってきた。

福島の原発の事故で、電力事情が悪くなり、計画停電が始まるという。戦後すぐからもう50年以上たっている。各地区が1から5までのグループに分かれて、一日三時間程度、停電になる。わたしのところは、第1グループ。早朝の停電は回避され、16:50からの夜の部は実施という案内が町内にまわってきた。

残された時間で肉団子を大量につくり、稲庭うどんを茹でて待つ。17時過ぎても電気が使えると思ったら、停電は回避されたらしい。みんなの節電のおかげだと思う。これまで、電気は空気のように思っていたら、人のいない部屋を温めたり、必要以上にエアコンを使っていた。

いらない電気を消して回ることは、美徳というより、細かい人という印象すらあった。地震の教訓はたくさんあるが、電気を大切にしようと、切に思う。ひとりひとりの心遣いで、停電する地区を回避できるのだから。

江戸から明治になったとき、明るい電球の光に、文明開化を感じた人が多かった。停電は、一足飛びに江戸に戻ることになる。それはそれで、情緒のあることなのかもしれないが、緊急に電気が必要な人もいるのだ。

被災地の人に対して、できることは節電と募金だ、という名言もある。いつまで続くかわからないが、日本の復興のために、節電に励もう。幸い、本日は春の陽気、暖房なしで夜も過ごせそうだ。寒くなったら、ダウンジャケットを着て、毛布をかぶればよい。

計画停電マップの分かりやすいサイトがあります。知りたい県名でごらんください。

大地震、大丈夫でしたか。停電に備えて食事の確保も大切

昨日の大地震、会社や出先で一夜を過ごした方も多かったようです。歩いて、帰ってきた方など、本当に、お疲れさまでした。

この日はたまたま事務所にいたので、揺れを感じて怖かったけれど、すぐに自宅に戻れました。

さて、一日経った本日、余震はまだ続いています。電力の安定した供給が難しくなるとのこと。特にピークの夜6時から8時は停電の恐れもあります。そこで、今、この時間を利用して、食料を備蓄始めました。

大量のカツを揚げ、大量の肉じゃがを作っています。どちらも冷めても食べられるのがミソ。そして、梅干し入りのお握り。電気が使えない場合も考えて、また、むだな電気を使いたくないから、ご飯は保温にせずにお握りにしましょう。

多めの野菜サラダとか、マカロニサラダとか、用意しておくと安心。なお、停電に、冷凍庫は、この時期ですから、開閉さえしなければ丸一日は大丈夫です。落ち着いて、対処しましょうね。ソーシャルメディアのツイッターやfacebookをこまめにチェックしてみてください。

表参道で、あすなろブロガーnightに参加しました

パソナテックさんからのお誘いで、あすなろブロガーnightに参加しました。こちらのイベントはfacebook経由で告知され、なんと、企業サイトもできていました。

今回開催したのが、表参道にあるCULB PASONA、ロケーションがすてきなので、イベントに対する期待感が高まります。

今回のパネラー4人は、リアルでもよく存じ上げているので、しゃべっていることが、そのまま伝わってきてよかったです。

こういうイベントだと、通常はノートパソコン持ち込みで、キーボードを叩いているひとが多いのですが、今回はカフェということで、なごやかに携帯をいじるくらい。わたしも久しぶりにノートにメモを取りました。

1. BLOGとソーシャルメディアの関係
BLOGも、twitterも、facebookも全部ソーシャルメディアである。ただ、twitterがオープンであるのに対して、facebookは一部クローズドのものである。フラットに繋がるのが、ソーシャルメディアの特徴。

2. BLOGのネタは
ネタ帳を作る。ネタを書き留めておく。自分の普通は他人の発見になるから、とにかく書く。トラブルが起きたときは、丁寧に対処方法を書くなど、みなさま工夫されていますね。

3.  BLOGを書くことでネットワークづくりに役立つか
もともと書きたいことがあって、あるいは、人に役立つことを伝えたいとい思いがあって、書いているので、それが、転職や起業を促すことはある。だが、人脈作りや商売のために書いているわけでなく、スキルや知識を提供していると、自然とネットワークが生まれるということ。

あすなろブロガーたちの熱い思いが、びんびんと伝わってくるような夜でした。

セミナのあとは、懇親会が設けられていて、気になる人と直接お話しできるようになっています。このあたりの気配りが偉いなあと思いました。たくさんの発見や嬉しいことをもらって、帰ってきました。

 

芭蕉も苦しみながら、句を作っていた

この一年間、隔週で、松尾芭蕉の「おくの細道」を読んでいる。芭蕉が書いた自筆本原稿をテキストに、また、江戸に作られた版本(木版に印刷したもの)と比較しながら、読み進めている。

一字一字、くずし字を確認しながら、そして、声を出して読んでいると、こちらもいっしょに旅している気分になるから不思議だ。有名な「おくの細道」は、読んだ方も大勢いると思う。わたしも、たぶん高校時代、読んだはず。

それが自筆本を読み解いていると、こんな旅をしたのだという新しい発見が多い。有名とされる句も、実は後に推敲されたものだったりすることが多い。

山形領の立石寺(りゅうしゃくじ)に立ち寄ったとき、清閑の地に、〈佳景寂莫として、心すみ行くのみ覚ゆ〉と感動して、次の一句を読む。

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

だが、これは推敲した句で、元の句がある。

立石寺
山寺や 石にしみつく 蝉の声

季節は夏。実際には、石にしみつくような蝉の声を聴いていたのではないか。それを推敲して、ひとつの世界を作り上げている。

芭蕉の紀行文、更科紀行でも、芭蕉は夜宿に着くと、その日浮かんだ発句を、頭を抱え、のたうち回るようにして句に作り上げていた。翁と名高い芭蕉にしても、すんなりと句が読めるわけではなかった。

おくの細道の自筆本は、旅から戻って、三四年経ってから書かれたものである。紀行文という形をとった文学作品と考えた方がいいのかもしれない。

自筆本を声を出して読んでいると、芭蕉の目線、足取りなどが直に感じられるような気がする。共に旅をしている気分になれるのだ。いつか、本当に、これらの場所を旅してみたいと、切に思う。

 

二月花形歌舞伎に行ってきました

三連休の初日、雪まじりの中、ルテアトル銀座まで、二月花形歌舞伎に出かけてきた。こちらは、旧セゾン劇場。昔、市村正親主演「海の上のピアニスト」を見たことがある。

さすがに歌舞伎公演なので、ロビーには繭玉がぶら下がり、雰囲気を出してる。舞台には花道もできていた。ご存知のように歌舞伎座が立替えのため、今年は、日生劇場、 ルテアトル銀座、明治座などで公演が行なわれる。ちょっと異例の年だともいえるだろう。

ルテアトル銀座は、770席、こじんまりして、三等席でも舞台がよく見渡せる。演目は、第一部 於染久松色読販(おそめひさまつ うきなの よみうり)鶴屋南北作、お染めの七役、そして第二部 女殺油地獄(おんなごろし あぶらのじごく)近松門左衛門作の二本立て。今、人気の市川亀治郎、市川染五郎を主役に、二人の演じる人間模様がすばらしい。

特に第二部の、染五郎の色悪ぶりの達者なこと。片岡仁左衛門が教えたというが、このまま、精進すれば、さらに磨きがかかるだろう。江戸の風情がふんだんにあって、江戸の闇のような部分が透けて見えた。

三月は半蔵門の国立劇場で、この片岡仁左衛門で、『絵本合法衢』(えほんがっぽうがつじ)の通し狂言がある。こちらも、19年ぶりの上演ということで、楽しみ。初めての方でも、イヤホンガイドがあるから、十分に楽しめると思う。二等席2500円、学生は1800円で見ることができる。ご興味のある方はぜひ、お出かけてください。

あすなろブログの新年会

今年も渋谷で開催された、あすなろブログ新年会。日頃、紙面だけで知っている顔と、リアルに話ができるのは嬉しい。パソナテックの女性たちは、きれいな人ばかりで、今年は結婚された人が多く、びっくりした。結婚しても仕事が続けられるのは、理解ある会社なのかしら。

今回も、金子さんのファッション談義をして、横田さんにはFacebookのさわりを教わり、増田さんとは結婚後の夫の立場について話をした。日頃、当たり前にしていることも、他人と話して驚かれるので、再認識できてよかった。今回、わざわざ大阪から駆けつけてくれた太木さんともお会いできてよかった。鈴木さんはお料理が得意とのこと、近々食べ物ブログが挙がることと思う。美谷さんは遅れてやってきたが、笑顔がいつもすてきな人だ。大谷さんとは帰り道、ご一緒した。もっといろんな方と話をしたかったが、時間が足りない。

韓国戦後のザッケローニ監督のコメント、イタリア人のユーモア

昨日の日韓戦、ハラハラドキドキしながら見ていた。ツイッターのタイムラインを眺めて、いっしょに応援していた。

その韓国戦後のザッケローニ監督の言葉を引用しよう。
「フィ ジカルで押してきて、韓国の方が走れているという印象を受けた。「簡単にいかないな」という感じだったが、韓国の戦いについても称賛しないといけない。非 常にまとまっているチームという印象を受けた。そういった素晴らしいチームに勝てたことで、喜びはさらに増したと思っている。」

相手のすばらしさを誉め、そして、そのチームに勝利したことで喜びはさらに増した、と語っている。さすがにイタリア人だと思った。

これは、遥か昔になるが、フィレンツェでの実際にあった話だ。60歳を迎える叔母、64歳になる母と三人でレストランを予約した。予約のとき、誕生日の人がいるというと、特別のケーキを焼いてくれた。

店 の主人は上機嫌で、叔母に「失礼だけれど、いくつになるのですか、28歳、それとも29歳」と、真顔で尋ねる。いくら日本人が若く見えても、これはお世辞 である。店にいる別のお客様もみんな声を合わせて、ハッピーバースディーを歌ってくれた。叔母の人生で、これだけ見知らぬ多くの人に祝われたのは初めての ことだったという。

こちらは数ヶ月前の話、ダリオ・ポニッスィさ んが、イタリア研究会の講師を勤められた。そのとき、会場にいろいろと質問して歩き回るのだが、「20歳のとき、あなたは何をしていましたか」、という問 いを、年配の御婦人に対して、「去年のことだから、覚えていますよね、あなたが20歳のとき、何をしていましたか」と笑顔で尋ねていた。

わたしの知っているイタリア人は、人を幸福にさせる術のようなものを心得ている。何をいったら、相手が幸せになるかを知っているのだ。子どもの頃から親たちのやりとりを聞いて育ったに違いない。

アメリカ人のユーモアというのも、移民したイタリア系の人々から使われるようになったのでは、と真面目にいう人もあるくらいだ。