芭蕉も苦しみながら、句を作っていた

この一年間、隔週で、松尾芭蕉の「おくの細道」を読んでいる。芭蕉が書いた自筆本原稿をテキストに、また、江戸に作られた版本(木版に印刷したもの)と比較しながら、読み進めている。

一字一字、くずし字を確認しながら、そして、声を出して読んでいると、こちらもいっしょに旅している気分になるから不思議だ。有名な「おくの細道」は、読んだ方も大勢いると思う。わたしも、たぶん高校時代、読んだはず。

それが自筆本を読み解いていると、こんな旅をしたのだという新しい発見が多い。有名とされる句も、実は後に推敲されたものだったりすることが多い。

山形領の立石寺(りゅうしゃくじ)に立ち寄ったとき、清閑の地に、〈佳景寂莫として、心すみ行くのみ覚ゆ〉と感動して、次の一句を読む。

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

だが、これは推敲した句で、元の句がある。

立石寺
山寺や 石にしみつく 蝉の声

季節は夏。実際には、石にしみつくような蝉の声を聴いていたのではないか。それを推敲して、ひとつの世界を作り上げている。

芭蕉の紀行文、更科紀行でも、芭蕉は夜宿に着くと、その日浮かんだ発句を、頭を抱え、のたうち回るようにして句に作り上げていた。翁と名高い芭蕉にしても、すんなりと句が読めるわけではなかった。

おくの細道の自筆本は、旅から戻って、三四年経ってから書かれたものである。紀行文という形をとった文学作品と考えた方がいいのかもしれない。

自筆本を声を出して読んでいると、芭蕉の目線、足取りなどが直に感じられるような気がする。共に旅をしている気分になれるのだ。いつか、本当に、これらの場所を旅してみたいと、切に思う。

 

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