ツイッターは「失速」したのか

某MLで、さかんに議論されている【ツイッターは「失速」したのか】。元々米国のデータを例にしていて、米国でのトラフィックが減少したことから、失速と捉えている。

その一方でtwitterの80%近くが、twitterクライアントを使っているというデータも あり、twitter.comからつぶやく人は二割程度なのだ。twitterが流行るからと、つぶやいてみたが、なにも変わらないので止めた人もかなり いるのではないか。日本だと、ブログを書くことで、読者と交流ができているひとは、twitterで放っておかれるのが、我慢できないらしい。

twitterの大きな特徴はタイムライン(TL) とよばれる、自分がフォローする人のつぶやき、そして、自分のつぶやき、さらに、それに返事を書いてくれる人(RT)の3パートが混ざり合ったものが流れる。つぶやきが多ければ、流れは速く一瞬のうちに過ぎて行く。

このあたりの無常観がよい。行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。(方丈記)の一節さながらの面白さがある。だが、始めたばかりの人は、フォローする人もすくないから、この流れが動かない。放送終了後の砂嵐のような画面をみているのは空しい。

要するにフォローする人が100人以上いないと、何も始まらない世界なのに、それに気づかない人が結構いる。

twitterって本を読んでいるだけでは、面白さがわからない。実際につぶやいてみて、どんな連鎖が始まるか。その成り行きをみているほうがずっと楽しい。それはベネチアを本当に訪れた人と、映像を見ているだけの人の違い。歩いてみないと、見えないことがいっぱいある。

見ていると、不満をいうひとは、あまり活躍していない。自分が何気なくつぶいやいた一言が、引用されたり、返信されたりする楽しさを一度経験すると、もっとつぶやくようになる。

後は時間帯もあるようだ。仲良しが、本音でつぶやき始めたとき、そばにいればもっと楽しい。早朝組と、深夜組はなかなか遭遇できない。休日は、MLなどのトラフックスは少なくなるのに、twitterは年中無休で賑わっている。

それはPCだけでなく、携帯から、どこでも発信できるからだ。歩きながらでも、信号の待ち時間にもつぶやける。手軽、気軽、簡単、即時性、生データなどなど。だれでも発信できる形で、つぶやけ道具なので、まだまだつづくと思う。

140文字の世界は、和歌や俳句に慣れた日本人には、手のひらサイズで合うのかもしれない。携帯電話が流行ったように、twitterのミニマムさがどんなときでも使える。

こんな便利なツールを企業が広報活動にいかせたら、とセミナも開催します。

 

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