国立能楽堂で、羽衣を鑑賞する

羽衣はなんどか、見ているのだが、脇正面で鑑賞したのは初めてだった。シテの動きがよくわかる。特に橋懸かりからの動きが美しかった。能楽は、退屈だとか、眠くなるという人が多いが、大人になって、寂しさ、哀しさを知るようになると、それなりにわかるようになる。

序破急というリズムがあるから、最後まで、序の舞いではないのだ。扇をかざすようになって、舞台が転換する。衣装も美しいが、舞いが変化するのを楽しむのもいい。気持ちよく眠ってしまっても、それも鑑賞の一部だと思えばいいのだ。

生死を分け合うひとときのつかの間の休息としての、能楽と、晴れの場としての能楽は、少し違う。戦乱の中で生まれて,洗練された芸術になったが、演ずるのはどろどろした人間模様だ。この世では満たされることのない生を、供養することによって、昇華させていく。

古文書講座の先生から、井原西鶴の好色一代男と、能楽のたとえを教わった。好色一代男では、世之介は主人公なのだが、後半は出てくる遊女たちがシテ役で、彼は旅の僧のようなワキ役なのだという。なかなか、面白い例だと思った。

今回、ちょっと観劇したのは、能楽堂の座席に液晶画面があって、字幕が流れていたこと。聞き取りづらい台詞も、ここに表示されるのはうれしい。日本語、英語と切り替えられるようになっていた。

■2012年9月21日(金)
狂言 口真似(くちまね) 野村又三郎(和泉流)
能   羽衣(はごろも)盤渉(ばんしき) 金井雄資(宝生流)

コメントは受け付けていません。