続・twitterの楽しみかた

twitterを始めて、11週間経った。タイムラインに流れるつぶやきを聞きながら、驚いたり、笑ったり、喜んだりして暮らしている。

その一部で、馴染めない人には、がらんとした空間に映るらしい。この辺り、言葉ではうまく説明できないが、【世の中にはいろいろな人がいる。よいとか、悪いとかではなく、考え方の違いだけ。それを認めれば、腹を立てることはない】。

本日の名言をひとつ

【Twitterではタイムラインを構築するのは自分だから、自分のタイムラインには責任を持たなくてはならない。ムカツク発言をした人に文句を言うのではなく、その人をフォローしてしまった自分を責めればいい。気楽だねぇ。(maname) 】

本当、そうなんですね。雑音が気になるようになったら、その人をリムーブすればいい。また、静けさが戻ってきます。

こ の一週間で、いくつかの出来事がありました。「twitterの中で、特定の誰かを批判したり、中傷したりするのは、危険すぎる」ということ。真偽のほど はともかく、面白そうなニュースはあっという間に伝播します。すると、発信した本人は、反論したくとも、140文字の制限があって、なかなか伝わらない。 その間にも、多勢に無勢で、情報だけが増幅されていきます。

好きなことをつぶやいていいのですが、それが相手のタイムラインに流れたら、どんな気持ちになるかを想像して、ちょっと考えたらいいと思います。ここには、本来、有名人も非有名人もいないわけですから、自分の取り扱いが気に入らないという方もいらっしゃるかもしれません。

要はtwitterの世界は大浴場。どんな高価な宝石も書物も預けて、風呂に浸かります。その緩やかな繋がりが心地よく、改まらずに声を掛けられるのだと思います。

嫌 いな人もいれば、大好きな人もいる。そういう世界をあるがままに受け止めれば、諍いもなく過ごせるのにと思ったりします。私自身は、居心地のよい隠れ家を 見つけたごとく、意見のやり取りやコメントを出すことを楽しんでいます。今を楽しむには、いちばんのツールだと思いますよ。

 

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