「菅原伝授手習鑑」はよく上演される演目です。通し狂言もなんどか行なわれています。でも、今回は、染五郎が初役で松王丸、菊之助が桜丸を昼夜で演ずるという画期的なもの。ゆっくりと楽しみたいので、昼の部、夜の部と二回に分けて鑑賞しました。
物語の発端は、加茂堤。
帝の弟、斎世(ときよ)親王と菅丞相の娘、苅屋姫が逢い引きし、それを政敵、藤原時平の家来に見とがめられ、桜丸が必死に応戦し、二人は落ち延びます。桜丸の身分は舎人、恋の取り持ちが思わぬ悲劇へと進みます。この春の場面、パリのオペラバスチーユでみた、ワルキューレの春のシーンが思い起こされてなりませんでした。
季節はのどかな春、手紙を交わして、今日ようやく会うことができた二人、そして、忍び寄る不幸。17歳の斎世親王と、恥じらいながら牛車に入る苅屋姫。若手の萬太郎と壱太郎が演ずるから可憐な印象になります。菊之助の桜丸は、品があって優しく、女形も演ずる役者だからと思いました。八重を演ずる梅枝も、いい女形になってきました。こんな女房がいたらいいなあ、と思います。
そして、名作といわれるのにふさわしい涙と別れの場面が随所に散りばめられています。江戸の観客たちは、自分たちの別れと重ねて、密かに涙したのでしょうか。妻との別れ、子との別れ、親子の別れ。さまざまな別れの中に、筆法伝授もあり、また、主君、菅丞相の実子、菅秀才とその妻、園生の前を無事助けることができるのです。
特に寺子屋といわれる場面では、菅秀才の首を差出せという難題に、頭を抱えた武部源蔵が、その日、寺子屋に入学した品のよい男の子を身代わりに殺して、その首を松王丸に首実検させます。こんな無体なことも、主君への忠義のためと、人殺しをします。その首を確かめた松王丸は、違いないといい、無事、難を逃れることができました。
この首は、松王丸の実子、小太郎で、わざわざ身代わりに差出したのでした。お家のため、子どもを犠牲にして、忠義を尽くすというのは、仙台萩にも出てきます。この苦しい選択は、封建社会の武家奉公には、付きものだったのかもしれません。跡付きがなければ、お家は断絶。家来家臣は路頭に迷います。武家ものの残酷さは、上方の和事とはまた、ひと味違うと思いました。観客に武家のひとがいるから、共感を呼ぶのでしょう。宿下がりのお女中たちは、あるある、こんな話し聞いたことがあると、ひとしきり盛り上がったことと思います。
子どもを亡くした夫婦は、白装束に着替えて、野辺送りをすませ、それからどこに行くのでしょう。松王丸を演じた染五郎は、また初々しさを残して、哀しみを表現していました。男役にもぜひぜひ、挑戦してほしいと思います。
この三つ子の兄弟、それぞれに仕えるところが違います。
桜丸 桜なので宮中、斎世(ときよ)親王
梅王丸 梅なので菅原道真、菅丞相
松王丸 松は徳川、松平、そして平安時代に擬して藤原時平と覚えると分かりやすいです、徳川家批判の意味も込められているのではと思いました。
昼の部
通し狂言『 菅原伝授手習鑑 』すがわらでんじゅてならいかがみ
【序 幕 加茂堤(かもづつみ)】
桜丸 菊之助
八重 梅 枝
斎世親王 萬太郎
苅屋姫 壱太郎
三善清行 亀 寿
【二幕目 筆法伝授(ひっぽうでんじゅ)】
菅丞相 仁左衛門
武部源蔵 染五郎
梅王丸 愛之助
戸浪 梅 枝
左中弁希世 橘太郎
腰元勝野 宗之助
三善清行 亀 寿
荒島主税 亀三郎
局水無瀬 家 橘
園生の前 魁 春
【三幕目 道明寺(どうみょうじ)】
菅丞相 仁左衛門
立田の前 芝 雀
判官代輝国 菊之助
奴宅内 愛之助
苅屋姫 壱太郎
贋迎い弥藤次 松之助
宿禰太郎 彌十郎
土師兵衛 歌 六
覚寿 秀太郎
夜の部
通し狂言『 菅原伝授手習鑑 』すがわらでんじゅてならいかがみ
【四幕目 車引】
梅王丸 愛之助
松王丸 染五郎
桜丸 菊之助
杉王丸 萬太郎
藤原時平公 彌十郎
【五幕目 賀の祝】
桜丸 菊之助
松王丸 染五郎
梅王丸 愛之助
春 新 悟
八重 梅 枝
千代 孝太郎
白太夫 左團次
【六幕目 寺子屋(てらこや)】寺入りよりいろは送りまで
松王丸 染五郎
武部源蔵 松 緑
戸浪 壱太郎
涎くり与太郎 廣太郎
菅秀才 左 近
下男三助 錦 吾
春藤玄蕃 亀 鶴
園生の前 高麗蔵
千代 孝太郎