4/12 お天気もよく、7時半にホテルの食堂に集合。今回泊まったホテルは、朝食がおいしかったというコメントが多く、楽しみでした。
自家製のパン、ヨーグルト、そしてサラダもたくさんあります。9時にお迎えが来るということでロビーで待ちました。
青森駅から、三内丸山遺跡までは、車で20分くらい。今回は、三内霊園経由で到着しました。三内丸山遺跡という長いネーミングは、三内村字丸山という地名から取っているとのこと、納得です。今回は、学芸員の藤原さんに案内していただきました。
三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。
この遺跡、野球場をつくるために、発掘調査したところで発見されたといわれていますが、江戸時代から文献に出てくるそうです。
以下、引用させていただきます。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/pace/main.html
三内丸山遺跡はすでに江戸時代から知られ、遺跡に関する最も古い記録として、山崎立朴の『永禄日記(館野越本)』(元和9、1623)があります。
江戸時代後期には有名な紀行家菅江真澄が現地を訪れ、『すみかの山』(寛政11、1799)に、縄文時代中期の土器 や土偶の精巧なスケッチと考察を記しています。
平成4年度から始まった県営野球場建設に先立つ発掘調査で、前例のない巨大な集落跡が姿をあらわし、さらに膨大な量の土器や石器などの生活関連遺物や土偶などの祭祀遺物が出土しました。
平成6年7月、直径約1メートルのクリの巨木を使った縄文時代中期の大型掘立柱建物跡の発見をきっかけに、遺跡の保存を求める声が沸き上がりました。
世論の高まる中で、同年8月に青森県は遺跡の重要性を考慮し、途中まで進めていた野球場の建設工事を即時中止し、遺跡の永久保存と活用を決定しました。その後、遺跡は保存のために埋め戻されました。(引用おわり)
発掘調査であまりにも大規模な集落跡が発見され、それを保存することになったというのも、奇跡に近いですね。写真の建物は、そのクリの巨木を再現したものです。湧き出す、水の中にクリの木が漬かっていて、保存状態もよく発見されたそうです。
5000年前といっても実感がありませんが、この日の三内丸山は、暖かく、この遺跡全体に日差しがありました。周りにはクリの木があって、クリの栽培も行なわれていたといわれています。どのようにして暮らしていたのか、興味深いですね。
そして、縄文土器も、前期、中期、後期とわかれていて、後の時代になるほど、飾りが付いたり、華麗になります。
今回、特別に許可されて、写真を撮らせていただきました。これらの土器は文様も凝っていて、縄文中期以降だといわれています。おびただしい量の土器が現在も発掘され、その場所、形態から、破片を付け合わせる作業が続いています。
青森県では、この三内丸山遺跡を含む縄文遺跡群を、世界遺産に登録してもらうよう、働きかけています。新青森駅からすぐのところにある縄文遺跡、ロマンがあって、応援したいですね。
ここに出かける前には、縄文遺跡群のこともまるで知りませんでした。千葉市には、加曽利貝塚があって、こちらは小学生の見学コースになっていますが、国指定特別史跡にしようと盛り上がっています。
さて、見学のあとは、すてきなランチが待っていました。
手風琴 青森市三内沢部368-8 050-5870-1044 要予約
食事が済むと、もう一つ遺跡、小牧野遺跡に向かいました。こちらはストーンサークルが見られるのですが、雪が積もっているのではという情報が入っていました。山道を進み、目指すところに到着。
見事な雪景色でした。記念に案内看板を撮っておきます。今年は雪が多かったようで、五月初めくらいなら、見られるといわれました。
縄文文化について、少しだけ詳しくなった一日でした。疲れましたが、楽しかったです。
ホテルに戻って、夕食は、おすすめの「ゆうぎり」に出かけました。駅前で歩いてすぐの場所です。見かけは普通の居酒屋ですが、出てくるもののグレードが高い。写真を撮るよりも食べる方に専念していました。
こちらはメニューがなく、その時期のお薦めの料理を出してくれます。最初に苦手なものをいって、後は、次々と出てくるお料理を楽しむだけ。どれも青森ならではの味でした。外国人が、箸をつかって、和食をいただくのは珍しく、学校の先生なのかと尋ねられました。旅行者がふらりと出かけるお店ではないですね。
ゆうぎり
青森県青森市新町1-8-23 017-722-3972