電気に頼らない暮らしを考えてみる

計画停電は、今年の夏も続くというので、いまから、対策を考えてみる。西日の当たる西側のベランダには、ゴーヤを植えよう。昭和40年くらいまでは、みんなへちまを植えていた。ヘチマコロンという商品があるが、昔から、化粧水をつくったり、へちま徳利、へちまタワシなど、生活に役立つものに使われた。

ゴーヤも炒め物、煮物になるから、使えそう。素人でも簡単にできるらしい。

夏の日差しを利用する。黒いビニール袋の中に、水の入ったペットボトルを入れておくと、熱で暖まり、お風呂に使えるらしい。こちらはガス代の節約になる。

掃除機から、はたき+ちりとり、電気釜から、土鍋で炊くごはん、と置き換えても楽しい。京都の友だちと話していて、気づいたこと。町家で暮らしている人たちは、電気に頼っていない。

灯油で暖房しているし、薪をくべると使えるかまども残してある。ここで煮炊きすれば、乾燥した部屋に蒸気がでるし、暖かい。

ソーラ発電の簡易版などできれば、設置しよう。ネットを繋ぐ電気が発生したら、停電も怖くない。

江戸の人びとは、電気もインターネットもなくても、結構楽しく暮らしていた。連句の会などは、ロウソクの明かりでできるし、人びとは冬はたくさん着込んで、夏は窓を開けて風を入れ、過ごしていた。それが当たり前なのだから、不自由も感じなかった。

それよりも常に死を意識して、向かい合って暮らしていたと言える。旅は文字通り、死出の旅路になるかもしれなかった。それだけに、毎日を感謝して、精一杯生きていたのではないか。

貧しいが、誠実な心をもつ、正直な日本人。明治期に日本にきて、東北を旅したイザベラバードが、感心して旅日記を綴っている。

忘れてしまった勤勉とか、節約とか、そんなものをもう一度考えてみよう。電気が付くことが文明開化なのだと、単純に信じていたが、文化やアートは、電気の消費量に比例しない。

東京文化会館で、オーケストラが新世界よりを演奏していたとしよう。指揮者は、ダニエル・バレンボイム。運悪く計画停電に引っかかった。だが、ロウソクのあかりで、彼らは演奏を続けることができる。芸術とは、そんな崇高なものだ。

 

 

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