あえて、面倒くさいことをしてみる

手軽なもの、便利なモノが溢れている現代に、あえて、面倒くさいことをしてみる。すると、また、発見があるのだ。

時間のかかること、手間のかかることに挑戦する。子どもの頃、学校からの帰り、遠回りや、回り道をして楽しい時間を過ごした人も多いはず。無駄なことは、実は贅沢なのだと、最近気づいた。

たとえぱ、蕎麦打ち。知合いのひとりは、長野に蕎麦の植え付けまでして、新蕎麦を楽しんでいる。家庭菜園などの野菜作りも、これに入る。

わたしは震災以来、粉のコーヒーを止めて、豆をお取り寄せしている。電動ミルで一回ごとに挽いて、丁寧にコーヒーを入れる。コーヒー容器の最後の5mmくらいは、おりが出るので、注がない。毎回、豆から挽いたコーヒーをいただいていると、他所でコーヒーが飲めなくなる。

他にも浴衣地を買って、手ぬぐいや、布巾を作る。最近、和物ブームで、粋な手ぬぐいも、かなり高い。浴衣地から作れば、売るほどできて、友だちにプレゼントすると、喜ばれる。

お料理も削り節を摺って、出汁を取って作るみそ汁は格別だ。土鍋で炊いたご飯はふっくらと美味しい。

着物を着ることも、面倒だが、気持ちが変化できて楽しい。半襟を縫い付けたり、足袋を洗ったり、細々とした仕事があって、それを楽しいと思えば幸せ。昔の着物は、すべて手縫いである。反物を広げて、裁断し、それぞれのパーツを組合わせて、一枚の着物ができる。

気の遠くなるような作業だが、昔の人はそれを楽しんでやっていた。楽しいと思うことは大切。好きなことをしているときは、時間の経つのを忘れる。

着物はさすがに縫えないが、袋を作ったり、枕カバーを作ったりは簡単。はぎれコーナーをみると、立ち止まってチェックしたくなる。一針、一針、心を落ち着け、収集して縫い物をしていると、気持ちも癒される。

クリエイティブなことは、みな、あえて面倒なことに挑戦しているのだ。最初から無理だと思わずに、その過程も楽しみながら、やり遂げる。すると、心も満たされているのを感じる。

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