忙しいのも幸せ、かも

飛び石連休に、まとまった時間が取れて、考えることも多かった。女性が仕事をするというのは、まだまだ認知されていないのだと思う。

男が働いて、家を守るのは妻の仕事、みたいな考え方が根っこに残っているので、女性が外出するときは、残された家族のために料理を用意しておくのが、一般的らしい。

そんな中で、好きな仕事を続けられて、それに付随しての煩雑な事務、手配、面倒なども、幸せの一部ではないか、と最近考えるようになった。生き甲斐があるのいうのは、多少忙しくしても、十分幸せである。

暇 がいちばんよくないのだ。ちょっと前までの日本人は、精一杯働かないと、暮らしが立っていかなかった。江戸の農村では80歳の老人も、労働の担い手で、為 筋(ためすじ。役に立つこと、利益になること)になっていた。それは、可哀相なことではなく、生きている証しのようなものだった。

小人閑居して不善を為す、の例えもあるが、忙しく、時間のやりくりを考えて、仕事のプライオリティを付け、緩急のある生活をしている方が、ご飯もおいしいし、夜もぐっすりと眠れる。もちろん、やり過ぎはだめ。仕事中毒になる手前くらいで留まっていたい。

自分の考えた企画、サービスなどをお客様が喜んで受取ってくるのは、これも幸いである。他人によって生かされていると感じる瞬間だ。そして、いつもわくわくする気持ちをもって仕事に臨もう。

 

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