日本文学全集12 『松尾芭蕉 おくのほそ道/与謝蕪村/小林一茶/とくとく歌仙』 刊行記念トークイベントに行ってきました

日本文学全集12 『松尾芭蕉 おくのほそ道/与謝蕪村/小林一茶/とくとく歌仙』 刊行記念トークイベント@東京堂ホール
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池澤夏樹個人編集の日本文学全集、前評判も高く、斬新、ユニーク、愉しいとの書評もあり、気になるところから集めています。久々の全集物、河出書房新社の社運をかけた事業でもあります。

個人的には、昔々、河出書房の日本文学全集を親に揃えてもらって、源氏物語から読みましたので、今回の江戸の俳諧シリーズには大変興味がありました。幸運なことにこちらのイベントに参加することができ、昨日7/5、神保町まで出かけてきました。

涼しい一日だったので、もっと時間をとって、この辺りを歩き回ればよかったなあと少し後悔。それくらい、ネットの書店を愛用している自分には目新しく、出会いもありました。

写真は右から、松浦寿輝さん、辻原登さん、長谷川櫂さん。江戸を代表する歌人、松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶の選と解説、訳を担当しています。

人形町の江戸のくずし字講座でも二年余りにわたり、「おくのほそ道」を芭蕉直筆版で習ったので、それがどう訳されているのか、どきどきしながら拝見しました。リズム感があり、自然な流れで、江戸人が読むような平易な日本語になっています。お見事でした。松浦さんは詩人でもあり、言葉のもつセンスが光っているのです。

芭蕉は、古典などの教養を裏に、雅な世界を自然に置き換えて表現している。神格化されすぎているが、ハイブリットな人ではなかったのか、今回担当して、瑞々しい感情に驚かされたと松浦さんは語っています。みなさま、ご自分の担当された歌人より、それ以外のひとの批評が多く、一体化した江戸人集合のように見受けられました。

辻原さんは芭蕉が嫌い、蕪村の作品をまとめるとき、俳句には季語があるから、季節でまとめてみようと思ったそうです。春夏秋冬、ただそれだけでは、物足りないので、もう一度春を締めくくりに持ってきた。それが「春風馬提曲」です。

「春風馬提曲」はこちらで初めて読みました。漢詩と、漢詩読み下し文の混ざった斬新、新鮮な前衛詩だと辻原さんは記しています。こちらも従来の解釈とは違い、商家に勤めた女中が故郷に帰るのではなく、妓家に勤めた女が帰るとしています。すると、これまでの解釈では不自然だった部分が見事にわかるのだとそうです。こういうことは、教わらないと気づくこともありませんから、それだけでのこのトークイベントに参加してよかったと思いました。

一茶は、古典も知らず、俗物に徹して句をつくったひとと、長谷川さんは語ります。俗なものにばらけていくのが、近代の特徴で、そういう意味で、近代化をしたひとなのだそうです。一茶から近代詩が始まる、面白いです。

近代、明治以降、郷愁を追求していて、それを先取りしたのか蕪村。蕪村は俳人だけでなく画家でもあります。近世畸人伝などを読んでいると、蕪村は池野大雅と同じ画家です。作られた句が絵画的と言われるのも、基本がそこにあるからと思いました。

辻原さんのいう、近代の詩人は郷愁のものばかり。どこから来て、どこに行くのかがわからないのが近代。それに比べ、芭蕉ははっきりとどこから来て、どこに行くのかが記されている。

松浦さんが、芭蕉は西行を参照して旅をする、中国の古典も引用する。旅の中に、日本文化の厚みが刻みこまれている。それが天明期になると、狂歌が盛んになり、雅なものでなく、俗なものが流行る。今がまさにそんな時代だと思われます。だから、古典を読んで、もう一度学びたくなるのですね。

三人のお話は息があって、ツッコミもあって、まだまだ聞いていたい気がしました。

俳句を作ることはできなくても、詩を書くことはいいなあと、久しぶりに思いました。心の動き、感性のひらめきを残すには、現代人には詩が似合っていると思います。そんなさまざまな思いを胸に戻ってきました。ありがとうございました。

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