常磐津 文字兵衛さんのご紹介で、「江戸の祭礼と芸能」第一回「神田祭の舞踊」が開催されることを知った。
当日は、鮫小紋に黒の紋付で出かけた。会場は、大学らしく、すり鉢のような構造の教室に座席がパイシートのように並んでいる。踊りの舞台は特設で当日の朝から組み立てたという。
江戸の神田祭には、大きな人形を飾り立てた、山車がでました。全部で三十六番・四十五本。奇抜な扮装をして練り歩く「付祭 (つけまつり)」とともに江戸城に入り、天下様(将軍)の上覧が許された「天下祭」でした。「付祭」には、「踊り台」も出ました。この公開講座では、東京大学に仮設の舞台を設え、神田祭の「踊り台」の復興の可能性を探ります。(配布パンフレットより抜粋)
もともとの発端が歌舞伎の筋書きのように、面白い。花柳貴答さんが、神田神社にある博物館で一枚の錦絵を発見。読んでみると、附け祭 神田鍋町とある。この地名は、現在の自宅のあるところ。これはご先祖様のお導きと、その錦絵に描かれた三番叟の台詞をもとに復活することを考えた。
天保八酉年九月十五日神田大明神御例祭 附け祭 神田鍋町
豊年の実りの種を蒔き初め 「三番叟常磐色揚 (さんばそうときわのいろあげ)」
豊年の豊けき秋の実入りどき、幼きわざの舞ぶりも、とつぱひとえに有難き、花のお江戸の御例祭、頭に重き立烏帽子…
常磐津文字兵衛さんのお話だと、能楽の三番叟を基本として、色っぽい台詞は歌舞伎調でところどころ散りばめられているとのこと。復曲するのは、基本の部分があるので、やりやすかったそうだ。
こんな踊りや音曲を交えて、町内を練り歩くのだが、当時の人は熱狂しただろうと思われる。各町内で趣向を凝らして、芸やアイディアを競うのである。花のお江戸に行ってみたい。
三番叟の踊りの後は、パネルディスカッション。こちらのメンバも豪華だった。神田神社の宮司の清水祥彦さんもいらして、神輿だけでなく、引き物、山車、音曲などのついた祭りをいつか復活させたいと熱く語っていらした。また、東京では消滅してしまったこのような祭りが、関東の近郊には残っているというお話も面白かった。
島田の帯祭の付祭り(三年ごとに開催)、鳥山の山揚げ祭、などの貴重な映像も見せていただいた。
基調講演 古井戸秀夫 東京大学文学部教授
附祭の舞踏 「三番叟常磐色揚」上演
振付 花柳瀧蔵、振付補填 花柳貴答
千歳 花柳瀧ゆき、三番叟 花柳瀧三保、常磐津 常磐津文字兵衛、囃子 鳳声晴郷
パネルディスカッション
パネラー 花柳貴答、常磐津文字兵衛、鳳声晴郷、清水祥彦(神田神社権宮司)
進行 古井戸秀夫